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明日への賛歌


誰も知らない花のように

あなたのために生まれた私

嘘で飾った青春は

今日を限りに忘れよう

明日から私は独りじゃないの

短く苦しい人生だって

あなたとならば悔やみはしない

ああ…


 
ロック・キャンディーズのC子さん
 
C子さんの親友、久野綾希子さん
 
ジャズ教室の面々と久野さん


             § 出会いについて §


アリス
のファンだった。

バスケに明け暮れた中学から、公立高校へ進んだ。受験勉強に邪魔になるという親の意向でバスケは断念、美術部に籍を置いた。何故スポーツをやってはいけないのか、何故勉強をしなくてはならないのか、考えるのも面倒だった。で、歌を唄った。文化祭の前以外絵はほとんど描かずに、毎日アリスを唄っていた。好きな絵も描かないくらいだから、もちろん勉強もしなかった。

家ではアリスのレコードを聴いた。夜は勉強道具だけ広げてラジオの深夜放送を聞いた。毎日放送の「ヤンタン」や受信しにくい文化放送の「セイヤング」を、なんとかアンテナの方向を工夫しながら聴き、「午前2時の男」「天才秀才バカシリーズ」「おとなの知識」を仕入れた。

訳の解らない苛立ちや、根拠の定かでない不満を感じながら、ただ難解な本を貪り読んだ。倉田百三、西田幾多郎、松浪信三郎、果てはニーチェドストエフスキーにまで手を出したけれど、何を言っているのかさっぱり解らなかった。が、チンペイさんの話すことは真面目な話題からシモネタまで、まるで乾いた砂が水を吸い込むように理解できた。

中学のバスケで消費していたカロリーは、本を読んだり歌を唄うということだけでは消費しきれない。余った分は確実に蓄積していった。で、我が人生、妊婦の時は別として最高重量期を迎える。具体的な数字は口が裂けても言えないが、セーラー服の袖つけが裂けるほどパッツンパッツンの、夢や希望とは程遠い我が姿であった。

しかしそんなデブでも年頃の乙女である。チンペイさんに恋をしていた。「明日への賛歌」を唄いながら、そのロマンティックな歌詞はいつも下敷きに挟んで持ち歩いていた。今でもその歌は、チンペイさんそっくりに唄える。顔ではない、節回しである。

そんなある日、我がアリスが遥々高砂市へやってきた。当時、真新しい高砂文化会館でコンサートが開かれるというのだ。久々に燃えた。創部2年で当時最強の宝殿中学を下し、市内大会優勝までこぎ付けたバスケ現役中学時代のように燃えた。

まず、やはりアリスのファンであった同級生3人でコンサートのチケットをゲットした。

つぎに何を着ていくかで悩んだ。もちろん既製服で身に合うものなどなかった。そんなデブの娘が初めて男性を意識して出かけるというので、母は腕によりをかけてよそ行きの一着を縫い上げてくれた。出来上がった出で立ちはこうである。

木綿のレースの白いワンピース。レースの縁取りのある三つ折りソックスに白いペッチンサンダル。髪に着けるリボンは白地にオレンジ色のドット模様。夏用のツバ広の帽子は山陽百貨店で買ってもらった。ボンレスハムを白い包装紙で無理矢理包んだような格好であったが、自分では完璧なおしゃれと思い込んでいた。

そうやって出かけた待ち合わせ場所の山陽電車高砂駅前には、セーラー服を脱いでそれぞれにリキの入った装いの、田舎の高校生3人が集まっていた。因みに3人とも太めだったので、まるで着飾ったブーフーウーのようであった。

開演時間よりもはるかに早く会場へ着いてロビーをうろうろしていたら、興行主だというおじさんがニコニコと近づいてきた。どうやら父の知人であったらしく、ラッキーなことに関係者以外立ち入り禁止の楽屋へと案内してくれた。

「知らないおじさんについていってはいけません」という幼少の頃よりの親の教えもすっかり吹っ飛び、おっさんについて楽屋へ忍び込んだ。その頃はまだ厚かましさも初々しかったので、誰が先に楽屋をノックするかで揉めていたら、廊下の先からお目当てのチンペイさんがやってきた。3人は言葉にならない言葉を吼えつづけ、3人が3人、バタバタと手提げ袋をさぐって何かサインをもらえるものはないかと探しつづけた。

そういう有名人には不慣れな田舎娘である。気のきいたサイン帳どころか紙1枚持ち合わせていなかった。で取り出したのがさっき手洗いで使ったばかりのハンカチである。

3人で広げて「こ、これにサインしてください…」と消え入りそうな声で訴えて下を向いていると、『湿ってますね…』と笑いながら、優しくサインをくださった。そしておずおずと求める握手を、ひとりひとり力強く握り返してくださった。その右手の温もりと、意外に柔らかかった手のひらの感触は、30年以上を経た今も鮮明に思い出せる。その後数日、チンペイさんに握手してもらった右手を洗わなかったことは言うまでもない。

コンサートがはじまり、前から3列目に陣取った私たちがカメラを向けるたびに、チンペイさんはこちらをしっかりと見つめてくださった。当時愛用のブルーのタレ目サングラスを通して、そのやさしい眼差しが今も脳裏に焼き付いている。

と、今思い出しても胸キュンとなる記憶と共にあれから30年が過ぎた。アリスは一世を風靡し、その後発展的解散。チンペイさんは谷村新司として数々のヒット曲を世に出し、ベーヤンも堀内孝雄として大活躍されている。ドラムを叩いていたキンちゃんは何処へ行ったのだろう。

先日ここニューヨークでC子さんと知り合った。毎日美術部の部室でアリスを歌った頃と変わらず今も歌うことが好きなので、ボイスレッスンに通った。同じ教室にニューヨーク在住のC子さんもレッスンを受けに来られていたというわけである。

そしてなんとも奇遇なことに、C子さんはチンペイさんがアリスとしてデビューする前にアマチュアバンドとして活躍していたロック・キャンディーズの女性ボーカルだったのである。

『ええ〜!』と叫んだついでに、かつてアリスファンであった上記のような経緯を1分半ほどでまくし立て、ついでにロック・キャンディーズというバンドが関西においてどれだけ有名であったかということを先生および他2名の生徒に2分かけて説明した。

ホリプロ出身、和田アキ子の先輩であるS子先生はいたく感心し、神戸出身なのにロック・キャンディーズを知らなかったAさんは恐縮した。多分真面目だったAさんはラジオの深夜放送など聴かなかったのだろう。その分、パルナスの歌、ララミー牧場、サンセット77のテレビ番組系の歌は、フルコーラス唄ってくれる。

C子さんはロック・キャンディーズで活躍後すぐに結婚、以来ニューヨーク在住だそうだ。日本を離れて随分になるのに大阪人らしい気さくさと、海外で培われたゴージャスな雰囲気が漂う。話術がめちゃ面白くて上沼恵美子を彷彿とさせるのだが、ロッキャン時代は猫を10匹くらい被っていたそうで、舞台でのおしゃべりはもっぱらチンペイさんが引き受けていたらしい。チンペイさんとC子さんの掛け合いトークがあればロッキャンはまた違った路線のグループとして有名になっていたかも知れない。

ラッキーな出会いを喜びながらC子さんのご自宅に伺って見せていただいたアルバムには、ロック・キャンディーズ時代の懐かしい写真が並ぶ。高校生の私が胸をときめかせた少し以前のチンペイさんがまだ学生の姿で映っていた。

子育てを通して友人が出来るという年代をとうに過ぎてしまった今、ちょっと勇気を出してお稽古を始めたら新しい友人たちに出会えた。しかも音楽という共通の話題がうれしい。帰国後は若い日に断念したバンド活動を、ちと本気で再開してみようか。この年になって芸能界デビューを目指して、まずは形から。舞台衣装を買いに走らねば…と考えていたらC子さんからお誘いがあった。

同級生が日本から遊びに来るから一緒に呑みましょうというのだ。ふたつ返事で出かけたら、そこにはなんと、久野綾希子さんがいらした。なんでも学生時代からの同級生だそうである。

「久野綾希子」といえば劇団四季で活躍したバリバリの女優さんである。ミュージカル「エヴィータ」の朗々とした歌声は記憶に新しいが、今も舞台にテレビにとご活躍中である。カネボウ化粧品のCMで見た美しいお顔もそのままで、その小顔、細い身体、やっぱり芸能人は顔が小さいというのは本当だった。芸能界を目指す身としては、衣装よりもまず「厚い顔」を小さくせねば…と思った次第である。しかし、久野綾希子の『なんでやねん』を聞いた者は、そうはいまい。

谷村新司さん、現在は音楽活動の傍ら、中国の大学に招かれて音楽を教えていらっしゃるという。忙しい合間を縫って、震災後の復興チャリティーコンサートのポートジュビリーにもロック・キャンディーズとしてC子さんと共に参加されているそうである。新たな出会いに感謝しつつ、是非次回のコンサートにはロック・キャンディーズを尋ねて伺おう。

アリスに夢中だった高校時代。あれから四半世紀以上の年月を経て、今や制止する係員がいれば『なんでやのん?』と言いながらずかずかと楽屋口へ突入出来そうである。でもやはりチンペイさんご本人を目の前にすると、何にも言えずにうつむいてしまいそうな気がする。たっぷりと年を重ねたけれど、気持ちだけは変わらずあの日のままである。

 


 

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