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アポロシアター前はナット・キング・コール通り

 
劇場出身のスターたち
 
マネージャーのミッチェルさん
 
舞台はセビアン・グローバーのリハーサル中
 
シルヴィアズ レストラン
 
賑わう店内
 
これが本場のソウル・フード
 
ブレッド・プディングは激甘!
 
アイスティー+レモネード=アップタウン
 
アイスティー+レモネード=アップタウン
 
特製ホットソース(エクストラ ホット)


          § ハーレム §

「ハーレムとは世界中で最も多く活字になり、しかも理解される事の最も少ない社会だ」

黒人学者、ジョン・H・クラーク氏の言葉である。

ニューヨーク、マンハッタンの110丁目より北が通称「ハーレム」。キューバ、ドミニコ、プエルト・リコ出身の人たちが住むスパニッシュ・ハーレム、そしてセントラル・ハーレムと呼ばれる地区は人口20万人あまりの黒人の街で、様々な黒人文化やブラックミュージックが溢れているという。

「独りでは絶対歩いてはいけない」と聞くし、タクシーもハーレムには乗り入れないという。行ってみたいけどなんだか怖そう――そう思っていたら、先日ハーレムツアーなる催しがあり、グループごとバスで連れていってくれるというので早速参加してみた。

セントラルパークの北に位置するその地区に入ると、バスの車窓から見える景色は一変する。街行く人は黒人やスパニッシュ系の人たちばかりで、何をするでもなく路上にたむろする人たちが多い。建物も荒れたものが多くいたるところに落書きがなされ、中には焼け落ちた建造物も目に付く。

これは1947年に制定されたレントコントロールという法律のためだという。この法律のために家賃を上げることが出来なくなった家主が、自ら建物に放火して住民を追い出しにかかったそうである。それが今日まで修理や建て直しもされず放置され、どうしても荒んだ街という印象を拭えない。

コンビニらしき店の前にはいわゆる「うんこ座り」をした若者たちがいたりして、これを「Hanging Out On The Street Corner」と呼ぶそうであるが、そういった若者を介しての麻薬犯罪がいまだ減少をみないそうである。

どうしても「犯罪」という言葉が思い浮かぶハーレムであるが、ジュリアーニ市長の時代に大きくてこ入れされて警官も4万人に増加拳銃規制が厳しくなったこともあり、殺人事件だけは少なくなったらしい。

2000年には民主党のクリントン元大統領がオフィスを、そして元NBA選手のマジック・ジョンソン氏がハーレムUSAというショッピングモールを共に125丁目に作り、それをきっかけにハーレムは明るい街へと大きく変わったというが、それでは観光に訪れた外国人が気軽にショッピングへというには、まだ時間がかかりそうである。

ハーレムにおけるジャズの歴史も古い。

ニューオリンズで生まれたデキシーランドジャズミシシッピ川をさかのぼり、メンフィス、ナッシュビル、カンサスシティ、シカゴを通りハーレムにたどり着いた。そこに奴隷解放後、約6万人の黒人が南部から移住してきたことが重なり、世界最大の歓楽街ハーレムが誕生した。「ハーレム」とはオランダ語で「楽園」を意味するのだそうだ。

アポロ・シアター、コットン・クラブ、サボイ・ボールルーム、コニーズ・インといったジャズクラブでは、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントンらが活躍したという。

1941年にはビバップが誕生。やがてミッドタウンのスウィングジャズ、50〜60年代のヴィレッジのモダンジャズへと移っていくこととなるのだが、そのかつて隆盛を極め、今なおハーレムの伝説を作りつづけているというアポロ・シアターを訪れた。

1914年に建てられたというこの劇場、はっきり言って設備はもうボロボロである。しかし、上塗りに上塗りを重ねられた塗料にも歴史が感じられ、客席シートの真紅のビロードは人々の熱気を長年にわたって吸い込んできたようで、なんだか時の重みのようなものを感じさせる。

1934年に始まった「アマチュア・ナイト」というステージでは腕に覚えのある芸人たちがその技を競い、数々のスターを生み出したそうである。オーティス・レディング、マービン・ゲイ、B・B・キングにレイ・チャールズ。ナット・キングコール、ジェームス・ブラウンといった大スターたちもこの劇場から生まれ、そして若き日の彼らの写真がロビーを飾る。

アポロ・シアターのマネージャーのビリー・ミッチェルさんという人が劇場内を案内してくださったのだが、彼はデンゼル・ワシントンの同級生なんだそうだ。ちょうどその日は、タップダンスのスター、セビアン・グローバーが舞台上でリハーサルを行っていたので実際の舞台には上がれなかったが、そのバック・ステージで『誰か歌いたい人はいませんか?』と尋ねられた。

誰も手を挙げないとその場の雰囲気を盛り上げねばと思うのは関西人のサガである。本当は内気でシャイな私、併せ持つオバハンの厚かましさ全開で名乗りを上げた。そして「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」の4小節をしっとりと歌い上げ、劇場関係者、並びにツアー参加者の皆さんから絶大な拍手を頂くこととなった。

『是非アマチュア・ナイトに参加しなさい』とミッチェルさんから言ってもらえるし、ご褒美のバッジはもらえるし、もう歳も忘れて有頂天であった。平井堅様が日本から出演されたというアマチュア・ナイト。バック・ステージではあったけれど、もう彼とはアポロ・シアターつながりである。

一節唸ったあとには腹がへる。で、本場ソウルフードなるものをいただきに「Sylvia’s レストラン」へ行った。

1962年創業のこのお店、南部出身のシルヴィアさんが切り盛りされる。伝統的な南部料理がいただけるということでニューヨークではつとに有名、地元の黒人ばかりではなく様々な人種の人が訪れる。クリントン氏もハーレムの事務所に来た時はこのシルヴィアレストランで必ず食事をするそうで、鏡の前、中央のテーブルが彼の指定席なんだそうである。

シルヴィアさんの一族を含め従業員70名というその賑やかなお店で、次々と出されるソウルフードをいただいた。メニューはチキンのから揚げ、ナマズのフライ、ピラフにポテトサラダ、そしてケールという南部特有の野菜の煮物である。

どれも独特のスパイスが効いていて、特にケールの煮物は煮込んでも歯ごたえがある野菜という食感が珍しかった。それに焼きたてのコーンブレッドと、アイスティーとレモネードをミックスした「アップタウン」という飲み物、それにデザートのブレッドプディングまで平らげて大満足であった。

黒人奴隷という悲しい歴史を引きずり、今もなお潜在的な人種差別は存在する。一握りの黒人の人たちが高等教育を受けて生活を豊かにしていく一方、ハーレムの黒人たちは依然貧しい人たちが多い。

そんなハーレムには「Give Something Back」という風潮がある。アメリカンドリームを実現して巨万の富を気付いたハーレム出身者が生まれ故郷に恩返しをするのである。有名なスポーツ選手が老人ホームを建てたり、250もある教会に寄付などをして故郷の繁栄に貢献しているという。

ただ、ブッシュ政権に参画するパウエルさんは、金持ち白人に篤い共和党ゆえ、ハーレム出身にも拘らずまったく人気がないそうである。

 

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