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☆カーソルを近付けると写真が替わります
300本の幟が…

☆平成中村座のポスター

羽二重を被ってドーランで白塗り
☆中村仲之助氏による化粧の実演
床山さんが鬘を着せる
☆着付け師登場
後姿も決まり!
☆艶っぽい仲居の出来上がり
中村座の大提灯が掛かる劇場内
☆江戸情緒たっぷりの中村座
簪屋
☆劇場前の屋台通り
アイ・ラブ・ニューヨーク
☆勘亭流文字屋
江戸人形屋
☆扇子屋のおじさんはチャキチャキ江戸弁
夏祭浪花鑑
☆中村屋家紋
中村七之助さんの幟
☆七之助さんの艶姿
花道を駆ける若衆
☆フィナーレで全員集合!
祭り若衆がなだれ込む客席
☆日本の某テレビ局による中継


            § 平成中村座 §

中村勘九郎率いる平成中村座ニューヨーク公演が行われた。

中村勘九郎の歌舞伎がニューヨークに来る――その情報をキャッチしたのは3月であった。

実は歌舞伎というものを観たことがない。現在は松本幸四郎という名前で松たかこのお父さんだが、若い頃はニヒルな表情で「野バラ咲いてる〜」と歌っていた市川染五郎、大河ドラマの共演がきっかけで当時の大女優藤純子と結婚した尾上菊五郎違いが解る男なのに美味しそうにインスタントコーヒーを飲んでいた中村吉衛門、そんな彼らの肩書きが歌舞伎役者だということをテレビのお陰で知っていた程度である。

日本ではご贔屓筋で歌舞伎チケットは即日売り切れになると聞いていたし、観てみたいとは思うものの言葉遣いも難解そうで、なんとなく歌舞伎というものは敷居が高かった。それがニューヨークへ来るとなると、観客はアメリカ人中心。歌舞伎知識が無くともアメリカ人に混じって気楽に観劇が出来るかなと行くことに決めた。

しかしである。チケット入手に難儀した。リンカーンセンター主催のサマーフェスティバルの一環として行われるこの歌舞伎公演、単独チケット発売の6月まで待っていたら売り切れだろうという予想が流れた。なんでも日本から歌舞伎ファンが、「歌舞伎観劇付きニューヨークツア−」なるものに大挙して押し寄せるというのだ。ならばなるべく早く――と、その時最も早い入手方法のグループセールスに目をつけた。

10人以上集まると6月まで待たなくてもすぐに申し込めると聞いて、ニューヨーク在住の数少ない友人知人をあたった。ところが公演は7月、その頃は日本の夏休みに合わせて一時帰国予定だという人がほとんどであった。で、思いついたのがニューヨーク在住日本人向けの掲示板。早速インターネットを通じて募集した。

ネット社会の驚異である。募集した10人は2日でクリア、結局12人で締め切り、チケット購入窓口へと走った。そして待つこと3ヶ月6月上旬のその頃にはすべてのチケットがソールドアウトで、件の掲示板には「誰か中村座のチケットを譲ってくれませんか」という書き込みが飛び交う中、悠々と早期入手のチケットを手にしたのある。

大枚100ドルと手間をかけてようやく手にしたチケット、それを十分に楽しむ為に、次は歌舞伎についての予習である。 9日間に渡るこの公演に先駆けて、アメリカ人にも歌舞伎をよりよく知ってもらおうと「歌舞伎レクチャー」がジャパンソサエティで開かれた。

この講演、歌舞伎評論家の塚田圭一氏が歌舞伎について同時通訳付きで語られた。

1603年、江戸幕府が開かれたその年、出雲大社の巫女と称する阿国(おくに)京都の四条河原で「かぶき踊り」を始めたのが、歌舞伎のルーツだそうである。

もともと歌舞伎というのは、武士の間で発展した能や狂言のような「形式に守られた文化」を壊し、「新たな庶民の文化」を生み出そうとしたものだそうである。だからその呼び名も既存の文化を「傾ける」ことから「かぶく(傾く)→かぶき」となったという。

であるから、金色の袴にロザリオを着けた阿国が人気を博したというその踊りは、刹那的な世情を反映して煽情的であり、「遊女歌舞伎」と呼ばれたその背景には売春も行われていたらしい。

そんな理由から女性による歌舞伎は幕府によって禁止され、それに代わって若い男性による「若衆歌舞伎」となる。しかしこれも若い小姓目当ての男色行為が横行し、同じように幕府によって禁止される。

女もだめ、若い男もだめ、そして落ち着いたのが若くない男たちによる「野郎歌舞伎」であった。

見た目はお世辞にも美しいとは言えない「野郎」ばかりの歌舞伎であるから、内容も煽情的なものから物語性に重点を置くものに変わっていった。そして当然ラブストーリーも上演されるから、必然的に「女形」の登場となったという訳だ。

そしてその頃に江戸で人気を博した歌舞伎劇場が市村座、森田座、中村座の江戸三座であったのだが、中村座は、1893年に火災で焼失。それを4年前中村勘九郎が東京浅草に再建したそうである。

今回のニューヨーク公演もその中村座を、オペラ座やバレーシアター、シンフォニーホールが集結するリンカーンセンターに再現、江戸情緒たっぷりに日本の歌舞伎をアメリカに紹介しようというものである。

塚田氏による歌舞伎についての説明のあと、今度は中村仲之助氏が女形になる工程を舞台上で披露してくれた。

浴衣で登場したのは細面のジャニーズ系青年。客席に向けて置かれた化粧台の前で、おもむろに諸肌を脱いだ。そして手元あざやかに眉をつぶし、羽二重を被り、ドーランを塗りこみ、目張りを入れ、眉を引き、を塗り、そして衣装をつけてをかぶると、艶っぽい「仲居」の出来上がりであった。

美人の条件は、「富士額、三日月眉、鼻は高からず低からず、口はおちょぼ口」なんだそうである。年齢と共にどうでもよくなって化粧時間がどんどん短くなる昨今、普通の青年が美しい女性に変身するその化粧法をじっくり研究させていただいた。

ポイントは化粧崩れを防ぐ下地、そしてファンデーションは叩きこむことと見た。因みに美しく変身する歌舞伎役者が使っているのは、カ○ボウのホワイトファンデーションなんだそうです。

さて、レクチャーで十分予習をしていざ本番、観劇へでかけた。

土曜日の夜、着飾ったアメリカ人に混じって和服姿の日本人女性がちらほら目に付く。劇場前に作られた屋台通りは、手ぬぐい人形扇子の製作実演に見入る外国人たちで賑わっている。トム・クルーズロバート・デ・ニーロが観劇に来ると聞いていたのでキョロキョロしたが、どうやらこの日は外れた。

日本からで運び、1ヶ月かけて建てたという中村座。正面には中村屋の家紋と今日の演目「夏祭浪花鑑」の絵看板が架かる。江戸時代の芝居小屋を模したという館内は木がふんだんに使われ、「中村座」の大提灯が桟敷席を含む545の客席と花道を照らしていた。

その花道沿いのかぶりつき、目の前で繰り広げられる関西弁の芝居に釘付けである。なかでも見ごたえがあったのは、主人公団七九郎兵衛が舅の三河屋義平次を殺すシーンである。

照明が落とされ、ろうそくの灯りを掲げた黒子たちが、舞台上の役者二人をあらゆる角度から照らす。舞台中央にしつらえた泥のプールに落ちたり這い上がったりで全身泥まみれ、殺人シーンであるから組んず解れつの熱演が繰り広げられる。泥水、血糊、役者の汗の飛沫をよけるために、前のほうの席にはビニール製のポンチョが用意され、それを頭からすっぽりと被って顔だけ出して鑑賞した。

おぉ、毛利元就の橋之助やん!うわぁ、女形の中村扇雀はお母さんの扇千影にそっくりや!あらぁ、勘九郎の息子の七之助、ラストサムライの情けないエンペラーとはうって変わって、今夜の女形はとってもきれい!と、ミーハ−的感想を胸の内で叫びつつの歌舞伎鑑賞初体験であった。

ラストシーン。追っ手から逃げ惑う勘九郎と橋之助を追い詰めたのは、ニューヨーク警察の警官たちであった。江戸時代のやくざに扮した白塗り役者が、青い目の制服警官に「フリーズ!」されて大見得を切る。会場はアメリカ人観客からやんやの声援が飛び、しばらく拍手喝采が鳴り止まなかった。

基礎がしっかりしているから「型やぶり」、基礎がなかったら「形無し」と語る中村勘九郎。確かに今夜のラストシーンは格式ばかりにとらわれることなく、アメリカの観客をも魅了した。今後日本の歌舞伎が、日本人ばかりではなく世界の人々の間にどのように広まっていくのか。

『いょ!中村屋っ!』

来年18代目中村勘三郎を襲名するという彼に期待したい。


 

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