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*写真展オープニング
 
*写真の前で 藤原紀香さん
 
*印の写真はNYdeVolunteer(ニューヨークでボランティア)からお借りしました

写真展ポスター

 
上段中央の女の子は中指を欠損している。
しかしその笑顔は明るい。
 
アフガニスタンの町を行く藤原紀香さん


          § アフガニスタン・スマイルズ §

藤原紀香さんのアフガニスタン写真展がニッポンクラブのギャラリーで開催された。

彼女自身阪神大震災の罹災者で、震災直後、日本中世界中から支援の手が差し伸べられた様子に、人々の善意お互いに助け合うことの尊さを知ったという。

9・11の数か月後、グラウンド・ゼロを訪れ目の当たりにした光景は、このような悲劇を2度と繰り返してはならないという思いと共に、彼女を爆撃が続くアフガニスタンへ向かわせたそうである。

そこで夢を持って力強く生きる子どもたちに出会い、アフガニスタンの厳しい環境下でもこのような子どもたちがいることを、人々に伝えたいと強く感じたという。そうした彼女の小さな思いが9・11後の団結を見せたニューヨークでも少しずつ大きくなる事を望んでと、ここニューヨークでの写真展開催となった。

会場には彼女自身がデジタルカメラで写した写真の中から約90点が展示され、アフガンの現状、特に残された地雷原という危険と隣り合わせに暮らす子どもたちの姿が写し出されていた。

アフガニスタンの子どもたちの現状は悲惨である。

長い内戦の結果、医療、教育の社会的基盤が破壊された中で、地雷原に囲まれ不発弾が落ちている場所で彼らは暮らす。字が読めるのは10人に2人文字で危険を知らせることは出来ないから、石を赤い色に染めて地雷原を囲み、そこに近づいてはいけないと知らせる。それでも何も解らない子が、飴玉かと思って拾いに行ったり、赤い色のついたきれいな石ころを遊びで動かしてしまったり、そうして傷つく子どもたちが絶えないそうである。

広大な草原一帯が地雷原で、その中央をわずか2メートルの白い石で仕切られた安全地帯の歩道が横たわる。その歩道を毎日片道2時間かけて地雷を回避しながらテント学校へ通う子どもたち。それでも子どもたちはタリバン政権時代には禁止されていた「学校へ行って勉強する」ことが楽しいという。

「先生になって子どもを教えたい」
「お医者さんになって病気の人たちを治したい」
「この国が好きだからこの国をよくしたい」

貧困と砂埃に煤けた風貌の中にキラキラと輝く子どもたちの瞳が、そういった彼らの大きな希望を写真の中から語りかけてくる。

首都カブールから少し離れたバーミヤンという町。標高3000メートルのシバトゥというその村に、かつてタリバンによって破壊され、現在NGOによって再開されたテント学校がある。

テントの土間には1枚のシートが敷かれ、中では130人もの小学生が学ぶ。絵が描かれたカードをパズルのようにして組み立てるが、それは数学や図工の授業ではない。地雷の形や種類を知り、避けなければならない危険を学ぶ。

国際赤十字が支援している義足リハビリセンター毎日200人もの人が運び込まれ治療を受ける。その半数が女性や子どもたちだそうだ。そしてそこで働くドクターやスタッフたちもほとんどが義足だという。

両親の生活を助けるために重い荷物を懸命に運ぶ少女の写真。アフガニスタンの8割の子どもが学校へ行けず、主な家族収入の稼ぎ手として働いている。荷物が持てないほど小さな子は、さらに小さな子や赤ちゃんの面倒を見る。首都カブールだけでも5万人の子どもが路上でこうした生活を強いられている。

昨年、日本で開かれたこの写真展では入場料に代えて募金を募ったそうである。そこに集まった2000万円というお金を教育支援事業につぎ込み、今年5月にアンダ女子小学校が建設されたという。イスラム圏では宗教的な面から、男性教師の教える学校へ女子を送り出す親はほとんどいないという。そういう観点から女子教育が非常に遅れているこの地区で女子を教える女性の先生の確保が急がれる。

現在は小学校3年生レベルまでしか教える先生がいないので、先生の意欲向上、カリキュラム作成などが必要と語られる藤原紀香さん。学校を建てただけに終わらせない為、どうやって維持していけるか模索中だという。

阪神大震災では我が家も半壊に遭った。幸い家族は怪我もせずに無事であったけれど、同じ時刻に大勢の尊い生命が失われ、多くの施設や建物が破壊された。震災直後、遠く離れた都道府県のナンバープレートを付けた復旧支援のトラックをたくさん見かけた。他県からの大勢のボランティアの人々が被災地を訪れ、傷ついた人たちの復旧に手を貸してくれた。

激震地であった西宮の中学校に当時通っていた息子は、交通機関が寸断された為に学校ヘは通えず、自らも被災者である学校近くの先生のお宅に長期下宿をさせていただいて通学した。被災者同士が助け合い数え切れない人たちの善意を受け、傷ついた町や人々は徐々に立ち直っていったように思う。

しかし数年後、復興という名のもとに町がすっかりきれいになった頃、就職活動のために東京で面接を受けた若者が悲しい顔をして戻ってきた。

面接で自身が遭遇した震災のことを話出したところ、『まだ、そんなことを言っているのか』と面接官に言われたそうである。それを聞いて若者は、震災復興ということに、実際被災者である自分たちと、被災していない人たちの間では随分と温度差があることに気がついたという。

当事者にとって「震災後」は、名ばかりの「復興」に町や建物が美しくなっても、今なお「現在進行形」である。しかし、その寂しい面接官にとって「震災」そのものが最早「過去完了」であったのだ。

厳冬のまだ明けぬ早朝、たった10数秒の揺れで人生の希望も未来も失ってしまった人たちがたくさんいる。震災直後、青いビニールシートで覆われた家や仮設住宅、避難場所となった公園は、今は当時のサバイバルを物語る姿は何ひとつない。しかし、今なお、震災で傷ついた人たちがいること、そういった人たちが将来に希望を見出して、心身とも健康に歩み出せる時が来るまで、真の「震災復興支援」は終わってはならないはずである。

タリバン政権が終わっても、政治的背景にアフガニスタンという国が翻弄され続ける限り、傷ついた子どもたちの悲しみは今日も続く。

「藤原紀香」という大きな看板を持った彼女が「小さな願い」を持って歩み出した。その大きな看板は多くの人を引き付ける。願わくは、そこに集まった人たちの「小さな思い」が過去完了にはならずに、ずっと維持されんことを。

どんな小さな声も集まれば大きな声となる。ひとりで大きな声を出せなくても、いつも囁きつづけていたい。「子どもたちに幸せを、世界に平和を」と。

藤原紀香アフガンサイトはこちら www.norika-afghan.com

 

 

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