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特設テントステージ

 
芝生広場を埋め尽くす観衆
 
ごちそう!
 
椅子持参の人たち
 
寝ながら聴く…最高!
 
左からカレンママ、デイヴィッド、トモエ、カレン


          § オペラ@セントラル・パーク §

雪が降ると長い冬ごもりをするニューヨーク。戸外を移動の時は、まるで布団のような裾まであるダウンコートを着込み、あとはなるべくぬくぬくと暖房が効いた部屋で薄着で過ごす。

だから雪が融け春めいてくると、人々は一斉にアウトドアへと飛び出す。お昼休みにはビルの谷間の陽だまりでランチをとり、休みの日にはアパートメントの屋上に椅子を持ち出して日光浴をする。とにかくアメリカ人はお日様が好きだ。

私は日向が苦手である。日本からフロリダに移るとき、いちばん気になったのは日焼けであった。別名サンシャイン・ステートと呼ばれるフロリダ、その日差しのキツさは生半なものではないと聞いていた。

そこで用意したのは2年分の美白化粧水と日傘。運転中に手の甲が日焼けするから、紫外線カットのドライバーズ手袋。化粧下地ももちろんUVカット仕様を用いてファンデーションをしっかり塗りこみ、サングラスで目の周りを覆い、窓から差し込む日で横顔が焼けるのが嫌で頬覆い付きサンバイザーを被って運転した。

日焼けした褐色の肌が美しいとされる土地柄である。アメリカ人の女性は顔も肩も剥き出しで、颯爽とオープンカーに乗る。テニスコートではギラギラの太陽をまともに受けながら何時間もプレーする。

であるから、黒眼鏡にほお被りに手袋と、ほとんど人相風体の判別がつかないような完全武装で車を運転する東洋人は、フロリダの人々の目には奇異に映ったに違いない。日傘をさして歩いても、妙な目で振り返られるほどであった。

そんな努力をしても日に焼けた。ニューヨークに移り住んでからは、今度は乾燥で痛めつけられた。母が赤子の私を風呂に入れる時、ビンの底に残ったわずかの牛乳で顔を洗ってくれたという努力も、黒子さんよりも白子さんに憧れて使ったロゼット洗顔パスタの効力も、ここへ来て寄る年波にはどうにも勝てなくなってきた。「色の白いは七難隠す」と教わったが、シワシミソバカスと数え出したらその数は遠に「七」という数字を超えて隠し切れなくなった昨今、もうほとんど諦めの境地で美肌対策も投げ出した矢先であった。

ちょうどそんな時、友人からオペラのお誘いがあった。毎年恒例のセントラル・パークの野外特設テントで披露されるオペラを芝生の上で観るというものだ。お日様大好きアメリカ人らしく、燦燦と照る太陽の下で食べ物飲み物を持参してのピクニック気分、そのまま日没ごろに開演されるオペラを鑑賞しようというのだ。

「日焼け」という言葉が頭の片隅をよぎったものの「ご馳走」という言葉の方が勝った。若い頃は痩せる為に食を抜いた。今や「美」と「食」どちらを取るかと問われれば、迷わず「食」である。友人の誘いに即座に「行く!」と答えて早速頭の中は持ち寄り品の算段となった。

実はオペラは2度目である。せっかくニューヨークにいるのだから「一生のうちで一遍は観たいもの」として娘とリンカーンセンターのオペラハウスへ出かけたことがある。ところが選んだ演目が悪かった。「リゴレット」。公爵に逆恨みした道化師リゴレットが殺し屋を雇い公爵の毒殺を謀ったところ、目にしたのはリゴレットの娘ジルダが公爵を愛するあまり身代わりとなって毒を呷った亡骸だった――という暗〜い話である。

おまけにバレエやミュージカルのように華々しい場面展開もない。舞台装置は美しいし、その前で衣装をつけた歌手が情感たっぷりに歌いあげるのだけれど、観る私たちの方は英語も怪しいのにイタリア語となるとさっぱりである。

確かに歌は上手い、とは解る。しかし3時間堪える気力がなかった。高らかな歌声はやがて子守唄に聞こえ、舞台上の悲劇とは裏腹に娘も私も幸せな束の間の居眠りに導かれることとなった。

歌詞を翻訳するための小さな電光掲示板が各席に設けられているのだが、後ろの席の人の分が丁度私の後頭部にあたり、それが枕代わりをして、居眠りは爆睡へと引きずり込まれていった。だから内容はなんにも憶えておらず、初めての体験は「オペラは眠い」という経験則を我々親子に植え付けてしまった。

そんな訳であるから、今回のセントラル・パークのオペラにもあんまり期待はしてなくて、関心は専ら皆で持ち寄るご馳走であった。ただ演目は「マダム・バタフライ」であったので、有名なアリア「あ〜る晴〜れた日〜…」ってやつは聞けるかなと思っていた。

さて当日。お天気も上々。日本のデパ地下には及ばないものの、テイクアウトの品は結構充実している「ホールフーズ」へ行った。

まず赤ワインをゲット。アテはなんといっても枝豆。この枝豆、アメリカ人には意外とウケる。牛肉好きの友人用にミートローフお寿司も少しは食べたいな。あ、このぶどう入りチキンサラダ美味しそう…と殆ど自分の好みでしっかりご馳走を買い込んだ。

地下鉄を三駅、86thストリートからいざセントラル・パークへ。周辺にはやはりオペラに向かう人が、たくさん行き交う。皆が皆、大きな紙袋やスーパーの袋をぶら下げて、折りたたみ椅子まで持参の人もいる。道路や公園内の要所要所には警官も出て、人々の誘導と保安にあたる。

人の流れについて歩いていたら、難なく会場の広場へ出た。噂には聞いていたがもの凄い人出である。特設のかなり大きなテントステージが設けられているのだが、それが小さく見える程、広大な芝生の上に寛ぐ人々が舞台に向かって放射状に広がる。マンハッタンはどこも高層ビルが立ち並び、町中ではそれらに切り取られた変形の空しか見えない。唯一セントラル・パークからは高層ビル群を縁取りに大きな空が見渡せるのだ。

待ち合わせ場所を決めてはいたものの、あまりの人出にしばらくの携帯電話でのやりとりの後、ようやく友人と落ち合うことが出来た。早速持ち寄ったご馳走を並べて宴会開始。ダンサーのカレン、カリフォルニアから来たというカレンのおかあさんとは初対面であったがなかなか話も弾んだ。普段、英語で世間話をするのはとっても苦手ではあるが、この日はなんとなくいい感じ。やはりワインの力は絶大である。周りの人々も思い思いのご馳走と、あちらもワインやビールで盛り上がる。そして夏の長い日がまだ暮れぬ夜8時に、オペラが始まった。

プッチーニ作の「マダム・バタフライ」。筋書きはこうである。

アメリカの海軍士官ピンカートンは、没落士族の娘で今は芸者に身をやつしている蝶々さんと結婚する。ピンカートンのアメリカ帰国後、蝶々さんは男児を生み、女中のスズキと3人で長崎港を見下ろす丘の上の小さな家で、夫の帰りを待っていた。そして3年の月日が過ぎたある日、ピンカートンは、蝶々さんが貞節を守り自分の帰りを待っているとは知らずに、アメリカで結婚した夫人を伴って日本に戻る。真相を知った蝶々さんは絶望し、短刀で自害する。

なんとも切ない悲劇である。歌声は暮れなずむマンハッタンの空に響き渡り、人々は先ほどまでの宴会騒ぎとは打って変わって静かに聴き入る。そして私は満腹を横たえて、青々とした芝生の草いきれを嗅ぎながら、まことに贅沢なオペラ鑑賞と相成った。

そしてインターミッションを挟んで、ようやく暮れかけた空が天空からの藍のグラデーションに高層ビルのシルエットを浮かび上がらせる頃、蝶々さんが歌うアリア「ある晴れた日に」を聴いた。愛しい人の帰りを待つ蝶々さんの切ない歌声を聞きながら、そしてやはり今夜も、舞台上の悲劇とは裏腹に、幸せなうたた寝に引きずり込まれていったのでありました。

第三幕目の歌声を聞きながら友人に「顔が紅いね」と言われたが、それが日焼けによるものか、しこたま飲んだワインのせいなのか、『今夜はまた美白化粧水を取り出して、無駄な抵抗をせねばなるまい』と思ったところまでは覚えている。ZZZ…


 

 

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