ストロベリーフィールズ 2003−2004

 

泣かないで…。イメージするんだ。

カーネギーホールのその舞台の中央に、君はスポットライトを浴びて立っている。満場の観客がブラボーの拍手を惜しみなく贈るその中で、君は世界中で一番美しい笑顔を浮かべている。その笑顔は自信で満ち溢れ、今までの辛かったことも泣いたこともすべて忘れて、今自分が奏でた演奏が人々を感動させたことに自分でも感動しているんだ。

いつまでも鳴り止まない拍手喝采を聞きながら、その時僕は必ず会場の片隅にいるから。スタンディングオベイションの人たちに隠れて、誰よりも大きな拍手喝采を心の中で贈っているから。でも僕がいままで独り占めしていた君の笑顔に世界中の人が魅了されていくのを、少し残念に思うだろうな。だけど大勢の観客に混じりながら、僕はその時誰よりも大きな喜びを君と分かち合えていると思う。君を見てきたから。諦めてしまいそうになりながら、それでもやっぱり音楽の道に戻ってきた君を見てきたから。

今までの人生の殆どの時間を音楽に費やしてきた僕たちはどこか似ているね。だから僕には最初から解っていた。君は『もう音楽なんて大嫌い』と言うけれど、それは一時の強がりでしかないってことを。必ず君はそう言いながら、やっぱり音楽の道に戻ってくるということを。

僕には解るんだ。なにしろ僕も物心ついた頃にはすでに音楽は生活の一部だったからね。ご飯を食べるように、ケツを掻きながら歯を磨いておやすみなさいを言って眠るように、音楽をするってことは何の抵抗も感じないでこなす日々の日課だったからね。

もちろん、その頃は好きでやってた訳じゃない。学校から帰ったら鞄を放り出して日が暮れるまで遊びまわっていられる近所のヤツらに混じって、僕も同じように遊びたかったさ。だからある日、学校から帰ったら家に誰もいなかったことをいいことに、僕は練習をパスして近所のヤツらに混じって遊んでみた。それはそれは面白かったよ。裏山の茂みを探検する時なんか胸がわくわくしてね。藪に引っ掻かれた頬の傷なんてちっとも痛くはなかったさ。いつもは僕が練習に費やしている日が暮れるまでの時間なんてあっという間に過ぎてしまった。僕はベッドに入ってからも昼間皆と遊んだ興奮でしばらく眠れなかったんだ。

確かにその日は楽しかった。でも窓からの月明かりに浮かんだ僕のバイオリンを見てるとね、なんとなく忘れ物をしたような気持ちになった。それでバイオリンを手に取って弾いてみたんだ。今日僕が経験した楽しかった出来事を思い浮かべてね。そしたら、バイオリンを弾きながらその場面のひとつひとつが鮮明に蘇ってきた。

藪の中に分け入りながら重なる木々の間から降り注ぐ木漏れ日が、トーマスの金色の髪の毛に当たってキラキラしていた様子。どんどん奥に分け入りながら、聞こえる音は藪を踏みしめるパキパキという音と僕たちの息づかいだけだったんだけど、その時感じた何とも言えない不安な気持ちとか。

“Animato”って音楽で使う言葉があるよね。『もっと生き生きと、躍動するように…』って何回何十回先生に言われても出来なかった。だけど今なら僕は出来るような気がするよ。藪の中を深く分け入りながら見たあの木漏れ日は、トーマスの髪の毛にあたってほんとに生きてるようだった。彼の金色の髪の毛が風に時折なびくんだけれど、そんな時は風と光とがいっしょになってトーマスの髪をもてあそんでいるようだったんだ。Animatoってそういうことなんじゃないかと僕は今思えるんだ。

生命も形もない光や風にさえ、音楽でなら生命を与えられる。あの夜僕は月明かりを浴びながらずっとバイオリンを弾いていた。昼間の楽しかったこと、それをまた音楽で再現しながら、その興奮や感動をまた味わえたんだぜ。素晴らしいと思ったね。僕が再現したのはその日の出来事だったけれど、それが出来るのなら何百年前の人の感動も再現できるってことに気がついた。

音楽ってそういうことなんだ。リストやブラームスや何百年前に亡くなった人たちともその音楽を通じて対話が出来る。そして僕の感動も音楽に残せばずっと先の、僕が死んでしまった後の時代の人にさえ伝えられる。それで僕は音楽をやっていこうと決めたんだ。

僕が特別だって?そんなことはないさ、君だってやれたじゃないか。僕と一緒にイメージした森の風景−折り重なる緑の奥深い森へ迷い込む。最初は届いていた日の光は森を分け入るほどに途切れがちになり、進むほどにあたりの空気も湿ってくるようで不安な気持ちが募る。そんな時突然目の前に清らかな湖が現れる。深い森の中のはずがどこから落ちてくるのか一筋の水の流れが湖に注ぎ水面を躍らせている。深い静かな森の中にあって湖面にだけは光が届き、幾層もの木々の枝葉の陰を落としている。

光と風と水の動きを「ジュドウ」という曲を通して、君はとうとう最後には見事な「水の戯れ」に仕上げたじゃないか。もっと自信を持って。君ならきっと出来る。高層ビルに切り取られてどんなに空が狭くても、このオーランドの空を知っているなら大丈夫。町行く人がどんなにしかめっ面を貼り付けて知らん振りで行過ぎても、オーランドで君が出会った人たちの温かさを思い出せばやっていけるさ。

そして忘れないで、僕はいつも君の心のそばにいるから。君が君の夢を手に入れるのを、僕は僕の夢を追いかけながらいつも応援しているよ。僕は君と同じ時代に生まれた幸運に感謝するね。そして広い地球上のほんの小さな町で出会えたことにも。そしてそれぞれが音楽をするという共通のことに向かって夢を育んでいるってことはとてつもなく素晴らしいことだと思うよ。

もう泣き止んだみたいだね。そうさ、その瞳さ。君のそのきらきら光る瞳にはいつも希望が見える。その希望をいつも忘れないで。君はきっとやれるから。僕は僕の夢を必ず実現させる。そして僕の夢はニューヨークにあるんだ。だから君は待っていて。君の夢を追いかけながら待っていて。僕は必ずそこに行くから。

CD焼いたんだ。僕の好きな歌、君もこれを聴いていて…。

 

To lead a better life I need my love to be here.

Here, making each day of the year,
changing my life with a wave of her hand.
Nobody can deny that there’s something there.

There, running my hands through her hair,
both of us thinking how good it can be.
Someone is speaking, but she doesn’t know he’s there.

I want her everywhere and if she’s beside me
I know I need never care.
But to love her is to need her everywhere,
knowing that love is to share;
each one believing that love never dies,
watching her eyes and hoping I’m always there.

I will be there and everywhere,
Here, there and everywhere.

 

☆   ☆   ☆

夏はオーランドと同じくらい暑かった。だけどこっちではほとんどどこへ行くにも歩くか地下鉄に乗るか。だから車で移動してずっとクーラーの効いた場所にいられたオーランドよりも、実際はとっても暮らしにくい暑さだって思ったよ。でもね、お蔭で大分痩せたんだ。前に送った写真でも解ったでしょ?いくら痩せたかは数字では言えないけれど目に見える程だからこれは私的には超ラッキーという感じ!

秋はなくてね、いきなり冬って感じだった。ずっとフロリダで半そで短パンで暮らしたから、久しぶりの寒さが何だかうれしかった。慌ててセーターとコート買ってもらったよ。でもそれもクリスマスの頃になると、寒いっていうより痛いって感じで、どこまで町は凍っていくのだろうと不安になった。その頃にはかなり、I miss Orlandoだったかな。

ニューヨークは凄いよ。CDでしか知らなかった人たちの演奏を目の前で聴けた。リンカーンセンターもカーネギーホールも、弾き手が一流だから聴く人もさあ楽しむぞっていう意気込みでやってきてる。演奏家が熱演してそれに対して観衆がブラボーを贈る。そういうひと時の興奮が毎日どこかで繰り広げられているのよ。

クラシック音楽だけじゃない、ジャズやポップスも、ダンスも演劇も美術も、道端や広場で披露されてるストリートパフォーマンスでさえも、皆やってる人は真剣そのもの。「私を見て、私はこんなに表現できるのよ」ってどの人からも自己表現しようとする熱意がビンビン伝わってくるの。

皆目的を持って暮らしてる。言い換えれば目的を持ってるから暮らせてる。もし生きる目的を無くしてしまったら、それこそ一気に堕落していく穴もそこいらじゅうに大きな口を開けてるのが見える街でもあるのよ、ニューヨークって。

学校は楽しかったよ。友だちもたくさん出来た。日本からもたくさん来ててね、皆大学院とかその次のステップだったから殆どがおねえさんたち。私がいちばん若いからパシリにも使われたけど、皆がとってもかわいがってくれた。日本を離れて独り暮らしをしながら音楽やってこうって人たちだもの、音楽にかける情熱とか真摯さとかっていうのはとても勉強になった。

先生にも恵まれた。トムは若いけれど、私の持ってるよいところを引き出そうとしてくれた。ちょっと皮肉屋でもあるけれどね、力が抜けた自然な流れの音楽を表現したいという私の気持ちを尊重してくれた。ベートーベンの「田園」を練習してたんだけれど、私のは、いつまでたっても「小学生の遠足のような田園」だって。私ベートーベンってあまり好きじゃない。楽譜は簡単なのに、弾けば弾くほど解らなくなる。二人でやったシベリウスもそうだったね。どういうふうに表現したらいいのか、最初の頃は何にも解らなくてそれでやっぱり私たちはイメージするところから始めた。

広い原野、遠くに聞こえる隊列の音、鼓笛隊だろうか規則正しい行進曲が聞こえてきてそれがだんだんと近づいてくる。静かでいてそれでいて勇壮で、決して昂ぶらないけれど秘めた情熱があるような行進。音だけだったものが朧に影が見えてきてしっかりとした隊列の形を捉える。どんどん近づいてくる様、隊員たちのきりりとした表情、その息づかいやうちに秘めた思いや、彼らの着込んだ金色のモールに縁取られた制服の色までが見えてくるような…そんな音楽をイメージして演奏したね。それを「田園」でやってみた。季節を考え広さを見晴らし、吹き渡る風や降り注ぐ光にも思いを巡らして演奏してみたよ。

そうしてて思ったんだけど、普段おかあさんが映画を観なさい、絵を観なさいとよく言うのね。それも、観て『あはは…』で終わらないような何かしら感動が残るような映画とか、メトロポリタンの18世紀19世紀のヨーロッパ絵画なんかをね。なんでもレンブラントがお気に入りなんだって。光と影の魔術師なんだって。私はそういうの全然興味なかったのよ。なんで美術館で1日過ごせるんだろうって不思議に思ってた。

でもそのとき思ったのよ。音楽をやるためにイメージしてて、映画のワンシーンや絵画を憶えていたら、それこそイメージの実像が早く見えてくるなって。おかあさんのやってる音楽はクラシックじゃないけど、好きな音楽やるためにあの人はあの人なりに引き出しにいっぱい映画のワンシーンや絵画を詰め込んでいるみたい。ついでにヴィトンが入ってるのにはムカツクけどね。ま、それはそれで私も借りられるもんだし目をつぶっとこうかな。

話戻すけど、そうやってイメージしてある日先生のレッスンで「田園」を弾いてみたのね。そしたらトムがすごく褒めてくれた。「うーん、やったじゃないか、大分ベートーベンらしくなってきたよ」って。私も久しぶりに褒められてうれしかった。ゆっくりだけど、そんな風にトムに付いてのレッスンはうまくいってたんだ。

ある日、学期の変わり目に先生を替わらなければならなくなった。トムよりも年配のもひとつ偉い先生。でもレッスン受けてもなんだかピンと来なかった。先生は私をもっと引き上げてくれようとしてたんだと思う。だからそれはそれで有難いんだけど、肝心の私が「何だか違うぞ」という思いを持ってしまった。それが回を重ねる度にどんどん膨らんでしまったのよ。

だってね、新しい先生がいいと言うように弾いても、私はちっともリラックスしてなくて、力入ってて、表現する開放感みたいなのが少しも感じられないのよ。新しい先生は、音楽を作るのにどう聞こえるかということしか考えてないのよ。弾き手が私で私がどんな心を持った人間で、どんな風に表現したいと思ってるかなんてお構いなし。ああ弾け、こう弾けって直されても、表面ばかりがきれいになって、そういう表面上の見栄えだけ気にしてる整形美人の音楽っていう感じになっていってるみたいに思った。

私いっかい音楽諦めたよね。だけどオーランドで出会った人たちのお蔭で、私にとって何が大事なのかが解ったように思う。それで音楽の道にも戻ってこられた。それを、その夢を膨らませるためにニューヨークに来たのよ。だけど途中でなんだか違うふうになってることに気がついた。

もしも私がとっても無理をしてここに残ってその整形美人みたいな音楽をやり続けても、それは私の目指したこととは違ってる。この先何年もこの状態が続くと、私は自然や季節の美しさにも気付かない、色とりどりのイメージを巡らすなんて出来ない、それこそありがとうもごめんなさいも言えない人間になってしまうような気がした。

私、甘いのかな。ひとつの道を進むってことはただ我武者羅に自分が正しいと思うことに突き進んでてもだめなのかな。なんだか解らないけれど、目に見えない力の作用があって、自然にその中を泳ぐ術を身につけていかなければならないのかな。それが成長するっていうことなのかな。でもね、どんな風に考えてみても、やっぱりいつも自分の大事にしたいことに向かってやっていきたいから。そしてその場所は多分ここじゃないと思うから。

ずいぶんおかあさんを泣かせてきたからね。また、ここで遠回りするって言ったら泣くかなって心配だった。「おかあさん、私のこと情けない?」って聞いたら、しばらく考えてから、自分がより良いと思う道を選んだらいいよって言ってくれた。人間には体内に危険信号を発する装置があって、それに耳を傾ける気持ちさえあればちゃんとより良い道に進めるように出来てるって。そしてそれを聴ける耳を持てるようにちゃんと私を育てたって。人は騙せても自分自身は誤魔化せないから、ちゃんと自問して納得して出した答えならおかあさんは応援するだけだって。よく泣くけどその後で『私の笑顔は美しい…』って言いながら、鏡に向かってシワっぽくない笑い方研究してるくらいだからまだ大丈夫とは思うけど、もうこれ以上心配かけられないなと思う。しっかり人生決めていかなくちゃ…。

だから、私、日本へ帰ることにしました。ようやくおぼろげに見えてきた私の音楽を、新しい土地で探してみようと思います。今よりもっと厳しくなるかもしれないけれど、自分の大事な夢だから、譲れないとこは大切にしていきたい。

アルバニーの湖で過ごしたあのキャンプの日々は大切な思い出です。アメリカ中から集まった音楽家の卵たちに囲まれて、私は君と音楽とに出会えてよかったとしみじみ思ったよ。1週間毎に仕上げていく作業はきつかったけど、いつも孤独なはずの練習が、アンサンブルでひとつに出来上がっていく様を身体で実感できて、あらためて音楽の素晴らしさを確認できたように思う。

練習に疲れ果てて皆で集まった夜、手を伸ばせば届きそうなくらい近くに感じた満天の星の元で、君は熱く語っていたね。わずかな灯りにときおり光る君の瞳が、みんなの音楽への熱い思いを代弁しているようでとてもきれいだと感じた。これからは同じ場所で見られなくても、夏の星座を見上げればあの時いっしょに感じた希望を思い出せるから、きっと私やっていけると思う。

ごめんね、約束が守れなくて。君は君の夢に一歩近づく約束を果たしたのに、そしてニューヨークへ来るというのに、その時私はそこにいなくてごめんね。だけど、私諦めて日本へ帰るんじゃないよ。決して二度と音楽を諦めたりしないよ。それは君や君のママや、オーランドで出会った人たちが私に教えてくれたとっても大切なものだから。4年間かけて泣いて苦しんでやっと手にした道しるべだから。だから、これからどこへ行ってもそれを大事に育んでいけそうに思います。

ビートルズ、ずっと聴いてたよ。今日からは君がイメージして。かつて君がボブカーで受けた喝采は今度はカーネギーホールの舞台上。あるいはリンカーンセンター、アヴェリー・フィッシャー・ホール。そしてきっとその時は、私聴衆の中のひとりとして聴いているから。

いつかまたどこかで会えるといいね。懐かしいオーランドの大きな空の下、それともすれ違ってしまったニューヨーク、もしかしたら懐かしい国、日本で…。いつかまた…。

 

There are places I’ll remember
all my life though some have changed.
Some forever, not for better;
Some have gone and some remain.
All these places had their moments
with lovers and friends I still can recall.
Some are dead and some are living,
in my life I’ve loved them all.

But of all these friends and lovers
there is no one compares with you.
And these memories lose their meaning
when I think of love as something new.
Though I know I’ll never lose affection
for people and things that went before,
I know I’ll often stop and think about them,
in my life I love you more.

in my life I love you more.

☆  ☆  ☆

 

ジョン・レノンが住んだダコタハウスの近く、セントラルパークの一角にストロベリーフィールズという場所がある。人々の愛と平和を願った彼の意思を継いで、その中央には「イマジンの碑」が刻まれている。それぞれの胸にそれぞれのビートルズを抱いた人たちが、今日も世界中から訪れる。

the Beatles, forever…

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