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雪の日もやってきた葉子ちゃん
↑↓ガラス戸越しにいっしょにランチ

 

↑↓陽だまりでふたりの世界
 
引越しの日のLonely Binx
 
葉子ちゃんのためにてんこ盛りのカツオ節を残した
 
★ビンクスと葉子ちゃんの出会いについては
ビンクスでエッセー#035「初恋」をご一読ください

 

 

 


 

§ 初恋 〜その別れ〜 §


愛猫ビンクスの初恋の相手「葉子ちゃん」が我が家を訪れるようになったのは、木々が美しく色づいていた昨年秋であった。それから厳しい冬を迎え雪がちらちら舞う日も、その雪がうっすらと降り積もった日も、かわいらしい足跡を雪の上に残しながら彼女はやってきた。

彼女がやってくるとビンクスは私のところへ駆けてきて、「ヨーコニャンカツオニャン」と接待をせがんだ。家の内と外に置かれたそれぞれの皿の上のカツオ節を平らげ、そしてガラス越しの抱擁を繰り返し、陽だまりに寝そべって二匹は時間を過ごした。

5歳のビンクスに比べて葉子ちゃんの身体は小さい。おそらく3歳といったところだろうが、しかしその声は恐ろしく低くハスキーである。幼い猫が人間の心をとろかせるような「ミャウミャウ」というかわいらしい声とはかけはなれ、まるでさび付いた重い鉄製扉を無理やりこじ開けるような声音である。まさか酒とタバコでそうなったわけでもないだろうから、おそらく野良の生活で心無い人間に捕獲されかけた時に首を絞められ、声帯を潰されたのではないかと思う。

しかも野良の厳しい経験からか人間には一定の距離を置いて近付いて来ない。カツオ節の乗った皿を差し出す私を遠巻きに眺めながら、ガラス戸が締められるのを確かめた後その皿に近付いてくる。そして私の顔をガラス戸越しに見上げてそのハスキーな声で「ガォガォ」と礼を言う。

ビンクスとこんなに仲がいいなら葉子ちゃんもうちの子にしようかとガラス戸を開け放った日がある。長い躊躇の末、そろそろと家の中に這入った葉子ちゃんを確認してガラス戸を閉めると、外に戻ろうと狂ったように閉じられたガラス戸へ突進していった。野良には野良の自由があるのかも知れないと、葉子ちゃんを飼い猫にするのを諦めた。

期間限定の芦屋生活も終わり、神戸への引っ越しに向けて荷詰めを始めた。家の中のダンボール荷物が増えていくのと比例して、葉子ちゃんとビンクスがガラス戸越しに語らう時間も長くなっていったように思う。

「葉子ちゃん、ボクといっしょに神戸に行こうよ」

「ビンクス、ごめんね。こう見えてもあたいは『芦屋のヨーコ』なのよ。ここを離れるわけにはいかないわ」

「そやけどいっしょにいたら食べる苦労はせえへんよ」

「それは解っているわ。でも小さい野良たちもいっぱいいるの。餓えてるあのコたちを放っていく訳にはいかないのよ」

「いややいやや、葉子ちゃんと離れるのは嫌や。ほんならボクが家出していっしょに野良になろか?」

「それはだめよ、あんたにはあんたの世界がある。あたいたち野良が狭い空間では暮らせないように、あんたは屋根のない世界ではやってけないわ。嫌いな雨をどこで避ける?凍える雪の夜をどうやって過ごす?お腹がすいてニャォニャォ鳴いたって誰もカツオ節をくれたりはしないわ。ゴミ箱漁って食べられるもの探すしかないのよ。

あたいたちのことは心配しないで。優しい人も中にはいるのよ。ほら、あんたが一度連れていかれたっていう動物病院の傍、おしゃれなカフェがあったでしょ。あそこのバイトのコが優しいの。残り物捨てたゴミ箱の鍵を外しといてくれる。あたいたちは週に一度そのコのバイトの日に合わせてあの店まで遠征するの。夜中にそおっと裏口に忍び寄って仲間達とたらふくご馳走にありつけるわ。

けど厄介なのは玉ねぎやニンニクをより分けること。普通臭いであたいたち猫が食べられないものは判るんだけどね、空腹でがっついてる小さいコたちには注意してないといけないのよ。勢いで食べてしまって命を落とすコも少なくないの。それにこのゴミ箱だってあたいたちが独占できるってわけでもない。冬場は六甲山から降りてくるイノシシたちと奪い合いよ。奴らは身体がでかいからね、殴られたら大怪我よ。あたいたちは大勢で威嚇するしかない。だからビンクス、解かってね、ここの仲間たちと離れるわけにはいかないのよ。

あたいは芦屋で生まれて多分芦屋で生涯を終えるわ。だけどあんたのことは忘れない。迷い込んだ家の窓からあんたの姿を見かけた時、あたいの中のアメリカンの血が騒いだわ。あたいにもあんたと同じブラック&ホワイト・アメリカンショートヘアの血が混じってる。それにほら、あたいの目の色はブルーだけどあんたのグリーンの目を見つめたとき、死んだママのことを思い出したわ。ママもあんたとおんなじグリーンの目をしていたから…。

あたいのママは日本で生まれたっていってたから、先祖の誰がアメリカンなんだか知らない。だけど見たこともないアメリカだけど、あたいの血の一部が生まれた土地のこと、あんたの話から想像出来たわ。こことは違った太陽の光があるのね…、この町とは違った花が咲くのね…。

ありがとね、ビンクス、自分の命がどこから来たのか少しは解かったような気がして、ここで生き抜く覚悟も出来たわ。触れ合うこともなかったあたいたちだけど、これでいいのよ。アメリカンなのにカツオ節が好きだったあんたのこと、忘れないわ。もう会えないけど神戸にいってもあたいのこと時々は思い出して。ふたりで食べたカツオ節の美味しさ忘れない…ふたりで食べることの楽しさも、きっと忘れない…さよなら、ビンクス…さよなら…」

長くなった日の夕間暮れ、遅くまで「ガォガォ…」「ニャォニャォ…」と語り合う二匹の声を聞いた。

引越しの朝、何もなくなった部屋のいつもの窓辺にぽつんと葉子ちゃんを待つビンクスの姿があった。

「ビンちゃん、ごめんね、葉子ちゃんを連れていくわけにはいかない。ビンちゃんを置いていくわけにもいかない。お母さんはビンちゃん無しでは生きていけないよ…」

二匹を引き裂く非情を詫びながら、葉子ちゃんのためにいつもの場所にてんこ盛りのカツオ節を置いた。姿を見せぬ彼女に最後の別れを告げるように、ガラス戸にビンクスは二度頭突きを食らわし、そして「ニャォン…」と鳴いた。



 

 

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