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楽屋で歌詞を暗記中のダバさん
大ボケかまして掴みはOK!

うっつんの雄姿!

クラプトンではなくて、竹内
菅野さんの真剣な眼差し
 
嘗ては美少年ムラミツ君
 
松山、数井両コーチはお変わりなく…
 
気分はキャロル・キング
 
お菓子持参でかけつけてくれたフロリダ時代からの友人Fさんご家族、ありがとう!
 
登場人物の名前は一部仮名です。なお写真は一部イメージで本文とは関係ありません。

 

 

 


 

§ イエスタデイ ワンス モア §


30年ぶりに舞台に立った。学生時代バンド活動で立った懐かしの芦屋ルナ・ホールである。当時、阪神間の4大学(関学、甲南、山手女子、神戸女学院)で結成していたKCC(Kobe Campus Concert)、今回は関学アメリカ民謡同好会主催で往時を偲んで楽しもうという催しに、我がSunset Celebration(略してサンセレ)もキーボードプレーヤーが関学出身ということで参加させていただいた。

♪エピソード@
サンセレ、キーボード担当は関学出身ダバさんである。彼女とはお互いの息子、娘を通じて知り合った。それぞれの親を反面教師にして育ったせいか、子どもたちはクラシックのピアニストである。彼らがピアノコンクールを通じて知り合い仲良くなり、ある日うちの息子がダバさんの自宅に伺った。そこで我が息子、なにげに飾られた「関学アメ民」の写真を発見し「うちのおかんもアメ民出身ですわ」とつぶやいた。それを聞きつけたダバさん「ええっ、どこの学校のぉ〜?」ということになり、あれよあれよという間に子どもたちそっちのけで母親同士が仲良くなった。

メールや電話ばかりでやりとりをしていたので、彼女と初めて対面したのはその後私たちがフロリダに渡り、2001年に遊びにおいでよと声をかけた時である。初対面にも拘わらず長年の旧知のように、輝ける太陽の下でシモンズをデュエットした。

因みにフロリダの人たちはおおらかである。道行く人たちは満面の笑みで知らない人とも挨拶を交わし、マクドの2倍はありそうなバーガーキングを喰らいながら歩いている。白髪ロン毛、二の腕にタツゥー入りのおじいさんが、ハーレーに乗りながらロック音楽を大音響で聴いていたりする。だから怪しげな東洋人のおばはんふたりがブーゲンビリアの咲き誇る公園で「恋人もいないのに〜〜」なんて熱唱していても誰も気にしない。帰国後はバンド活動を一緒にやろうと固く約束を交わした。

そして帰国後、昔のバンド仲間に声をかけ我がサンセレの活動が始まった訳だが、月1回の練習をベースに今回のコンサートに向けて月2回にペースアップ、そしてコンサート前日には4時間ぶっとおしの練習をこなして本番に臨んだ。

普段は音楽教室を経営し、忙しい時間を縫って音楽療法士の勉強を続け、そしてまた偶の休日には西国八十八箇所めぐりで精神修養を積むダバさんである。そんな普段の姿から、メンバー全員彼女が向上心溢れる真面目一辺倒の女性だと思っていた。ところがコンサート当日、関学OB、OGたちと集った彼女は昔から天然の面白キャラと判明した。そして舞台でも緊張する我らをリラックスさせるべく大ボケをかましてくれた。我がサンセレ、コミックバンドとしてもやっていけるかもしれない。

♪エピソードA
サンセレ、ギターのうっつん、ベースの竹内、ドラムの菅野さんは甲南OBである。甲南の仲間にハジメちゃんという上手いギタリストがいる。彼の弾くフェンダーのリードギターはジェフ・ベックの如く歌いクラプトンの如く泣いた。だから彼のリードギターをフィーチャーし竹内のリードボーカルで披露した大学祭での「いちご白書をもう一度」は、いまだに語り継がれる名演であった。

そんな彼が50歳の誕生日を前に昨年の秋に倒れた。一命は取り留めたものの今も脳に残る後遺症と闘いながらリハビリ中である。バンドの練習時、折に触れてハジメちゃんの容態が語られる。定期的に見舞いに訪れているうっつんから、目覚しい快復の様子を聞くと練習にも力が入る。前回は参加出来なかった同窓会ライブに今度はサンセレも出て一緒にセッションをやりたいと思う。もう一度立って、もう一度ギターを持って、もう一度歌って、もう一度、もう一度…。

本番直前、ステージ袖でメンバーは円陣を組んだ。手を重ねて声を掛け合いながら皆の思いはひとつであったように思う。二十歳前に出会い五十過ぎまで生きてきて、それぞれがそれぞれの事情を背負いながらひと時同じ音楽に熱中にする。そこに居る仲間、居ない仲間、時を経て味わうステージは皆に流れた時間を音の向こうに見る思いであった。

♪エピソードB
女学院のアメ民にチーちゃんがいた。関学のアメ民にムラミツ君がいた。ムラミツ君は少女マンガに出てくるような綺麗な男の子で、サラサラのロングヘアをなびかせながらある日女学院へやってきた。

言うに及ばず女学院は女子大なので普段男子を見ることは稀である。だからアメ民のコーチに来てくれる関学や甲南の男子はよくもてた。当時、津雲むつみのロマンティックな少女マンガにハマっていたチーちゃんはその美しいムラミツ君に恋をした。

チーちゃんは一人っ子ゆえ恋の相談は仲間5人が引き受け、デートするにもその5人が同行した。キャンパスを一緒に歩く二人に間をあけて着いていきながら、興奮して鼻血を出したチーちゃんにひとりがティッシュを持って走った。「これからギターを始めたい」というチーちゃんに、気前と男前のいいムラミツ君はそれならと彼の持っていたギターをくれた。「こんなんもらった!」とうれしそうに振り返るチーちゃんにひとりが走りより、そのギターを押し頂いて後から運んで歩いた。「大奥の恋はかくあるや」と思わせるようなお局5人も引き連れたデートだったので、将軍様ではなかったムラミツ君とチーちゃんの恋は成就することはなかった。

そのムラミツ君と会場で30年ぶりにお目にかかった。たまたま受付周辺にいた私は「ムラミツです」というその言葉に我が目を疑った。30年の歳月の流れはかくも残酷であってよいものだろうか。あのサラサラ髪も、スリムパンツを穿きこなしたあの細い体もどこにも見当たらない。二日酔いの中尾彬が勝手に「我らのムラミツ君」の名前を騙っているのではと思ったほどである。

事情があってキャップが脱げないうっつんも、「小さくて可憐なイメージ(松山コーチ談)」だったわたくしビンちゃんことあみネエも、そしてかつてビジュアル系で売っていたELFのおっさんたちも、その往時の姿はどこにもない。30年の風雪は誰の上にも無慈悲に平等である。

ところでお世話になった松山コーチ、数井コーチはまったくお変わりなかった。思えばご両人、当時から老けていたのか!

♪エピソードC
家族には「コンサートには来るな」と言いおいていた。バンド活動はおかんの唯一の楽しみ、母親の顔も妻の顔も持ち込みたくはないというのが自分勝手に決めた信条である。ところがコンサート間際になって娘がどうしても行きたいという。お付き合いしたい男性がいるので是非会ってほしい、この日しか先方の都合がつかないというのである。

昔から要領をかます娘であった。おやつの時間以外にお菓子を食べてはいけませんと決めていたので、買い置きの芋ケンピがあろうとキットカットがあろうと、時間外はどんなにせがんでも与えなかった。ところがこの娘、客人がいる時を狙って「これ食べてもいい?」と持ち出してくる。どうやらお客様がいると親もうるさく言わないということを経験則で学んだらしい。「まあまあ困った子ね、こんな駄菓子美味しいのかしら、おほほ…」と客人の手前を取り繕う母親を横目で見ながら、私の大好物のチーズがけカールをひとりですっかり食い尽くしたことも一度や二度ではない。

そんな娘が今回も、彼氏をこのややこしいコンサート当日に連れてくるという。普段は家にいると化粧さえしない母親、この日ならいくらものぐさなおかんも化粧ぐらいはするだろうから会わせてもいいと踏んだらしい。もちろん娘の交際に反対するつもりはなかった。先方の彼氏ともメールで幾度かやり取りをしていたし、まずは家族に挨拶をしてからお付き合いを始めたいという、今どき珍しい礼儀正しい好青年である。

しかし娘のこの挑戦とも思える行動には何かで応えねばなるまいと闘志を燃やした。そこでメンバーのひとりが妙案を思いついた。娘と彼氏を舞台に引き上げてお互いのどこが気にいって交際したいのかあれこれ質問をしたあと、会場の皆さんに「ふたりがお付き合いをしてもいいと思う人〜?」とその拍手の量で交際を認めるか否かを決めるというのだ。それは面白いと決めていざ本番。ところが前述のとおりダバさんが思いもよらぬ大うけを取ったので持ち時間の15分はあっと言う間に過ぎて、どうやら娘と彼氏は公衆の晒し者とはならずに済んだ。

「美味しい差し入れ大歓迎!」と前宣伝をしていたので、ま、私の大好物の日本酒大吟醸を持参した彼氏とのお付き合いは温かく見守ることにしよう。至らぬ娘ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします!

因みにこれもまた要領をかます息子は、就職活動で忙しかったということを理由にパスした去年の母の日と私の誕生日プレゼントを、今年の分と一緒にまとめて一個くれた。小学4年の時「おかあさん(この頃はまだ「おかん」とは呼ばなかった)、明日の参観日にはピンクの口紅をしてきてね」とリクエストした息子である。もらったプレゼントはピンクではなく歳相応のベージュの口紅であったが、私はこの色が大好きである。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

コンサートを終え帰宅する頃には緊張の糸が切れてどっと疲れが出た。お風呂に入りぬるめの湯に浸かりながら訳もなく涙が出てきた。この歳になって同じ音楽に熱中できる仲間がいるとは、なんという幸せなことだろう。

思えば何の苦労も知らずその音楽と出会った大学に通わせてくれたのは、今頃ひとりでテレビを見ながらうにゃうにゃと居眠りをしているであろう独居の老父である。

「おとうさん、コンサート楽しかったよ、こんな素敵な仲間と出会えた大学に通わせてくれてありがとう」

とメールをしたら、すぐに涙声で電話がかかってきた。

「要領ええ娘やなあとは思っていても、そう言われるとうれしい…」

要領かましの根源は誰あろう私自身であった。


 

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