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現在の加古川駅
すっかり近代化されてしまいました
懐かしい「翁介」の店内
↑↓壁に架かる中国の絵も昔のまま
これぞ翁介のワンタンメン!
翁介のおやじも昔のまま
(ずっとお元気でこの味を守ってください!)

 

 

 


 

§ ラーメン「翁介」 §


播州平野に位置する田園文化都市、加古川。高校3年間をこの町に通った。

当時住んでいた高砂から今はなき国鉄高砂線を利用した。「レカー(レールカー)」と呼ばれる一両だけのその気動車は、高砂と加古川をつなぐ6.3kmの距離をひた走った。クリーム色と赤色に塗られたかわいらしい車両に乗り込み、ドアは手で開けて下車した。電車通学の同級生たちからは時代遅れだと揶揄されたけれど、私はその無骨な姿が好きだった。

加古川駅に着くと木造駅舎を出て通学路を歩いた。目覚める前の駅前通りを抜けて登校し、下校時には賑やかな寺家町商店街や駅前で時間を潰した。下司書店で参考書を探し、ミヤコレコードではお気に入りのLPを試目覚める前の駅前通りを抜けて登校し、下校時には賑やかな寺家町商店街や駅前で時間を潰した。下司書店で参考書を探し、ミヤコレコードではお気に入りのLPを試聴した(当時は「これかけて」と言えば聴かせてもらえた)。オクダ楽器でギターを眺め、疲れたら喫茶店でレモンスカッシュを飲んだ。レモンスカッシュは縮めて「レスカ」と注文して気取った。因みに冷たいコーヒーは「レーコー」、ミルクティーは「ミティー」、レモンティーは「レティー」、そう言うことでちょっと大人びた気分になれた。

ある日、駅前ビルの中のちょっとおしゃれな喫茶店に入り、女友だち3人でお喋りをしていた。確か「パリ」というお店だったと思う。普段は「リンデンバウム」とか「ローザ」とか、ビニールレザーシートの喫茶店に出入りしていたが、その日はソファーなんぞが置いてあるちょっと高級な「パリ」に挑戦していた。通りに面していないこともあって学生の姿はほとんど見当たらない。そんな中で「レスカ」と注文した後だからすっかり大人気分であった。

静かな雰囲気の喫茶店で場違いなことにも気付かず騒いでいると、あろうことか通っていた高校の現代国語担当のM先生が入ってきた。もちろん下校時の喫茶店立ち寄りは校則違反である。私たち3人、アリスの大ファンだったので昨夜の深夜ラジオ番組「セイヤング」の話で盛り上がっていたのだが(この3人でアリスコンサートに行った顛末については NY便り#080「出会いについて」をご参照ください)先生にひと睨みされるやいなやチンと静かになってしまった。「やばいな…」「どうしよ…」「現国の宿題まだしてへんし…」ともじもじしながら、さりとてすぐに出て行くわけにもいかず、店の奥でゆっくりコーヒーを飲む先生の様子を窺っていた。

先生がコーヒーを飲み終わり、席を立った。私たちに近付いてくる。いよいよ来たか…と観念し3人ともうなだれていたら、通りざまに先生の手がすっと伸びて私たちのテーブルに置いてあった伝票を取り上げていった。そして「早よう帰れよ」とひとこと残しただけで出ていってしまった。叱られるとばかり思っていた3人はただあっけに取られ、口をぽかんと開けたまま顔を見合わせた。その瞬間、当時から惚れっぽかった私は恋に落ちた岡田裕介似のこの先生に気にいられたくて、それから現国の成績はめきめき上がった。惚れっぽかったけれど面食いだったので、猪八戒のようなK先生担当の数学の成績はさっぱり上がらなかった。

気になる男子が一緒のときは喫茶店でお茶だけであったが、女子ばかりの時はよく食べた。市場の中のお好み焼き、「かさよし」のうどん、「美政食堂」へもよく行った。この食堂の娘が同級生のYちゃんだったので、お店で食べた「やきめし」の美味しさを絶賛すると「あれは出来上がりにとき玉子をまわしかけるのがコツやねん」と企業秘密を教えてくれた。爾来うちの「やきめし」はずっと「美政風」である。高砂〜加古川間約7kmの車中、そして学校とこの駅前を結ぶ通学路が、当時の私の全世界だった。

そんな思い出がいっぱいあふれた加古川駅前、近年の変わり様はどうだろう。私が高校生として過ごした時代ははるか昔とはいえ、その変貌は凄まじい。

まずあの美しい木造駅舎はすでにない。明治に建てられたという、木造平屋建ての三角形の破風が好きだった。ガラス越しの発券窓口を横目に木のベンチのある待合室を駆け抜け、駅員の立つ改札を通る。乗り遅れそうになった友人が上り新快速電車に滑り込むのを見届けたあと、私は跨線橋を渡り高砂線のホームへまわる。明石へ帰る友人が都会人に見え、「レカー」で帰る高砂がずいぶん田舎に思えたものだ。その加古川駅も今は近代的な建物に変貌し、線路も高架になってしまった。券売機で切符を買い、自動改札を通る。エスカレーターでホームへあがり、自動ドアの電車に乗り込む。すれ違うのは無言の乗客ばかりで、駅員と接することはめったにない。

町の様子もすっかり変わってしまった。寺家町商店街は人通りもまばらで、「リンデンバウム」も「ローザ」も「パリ」も、そして「美政食堂」も今はない。お好み焼き屋さんがあった市場跡にはビルが建ち、過ぎ去った年月の長さをしみじみと感じていた。

そんな折、ラーメンをよく食べた「翁介(おうすけ)」がまだあるという情報を得て早速でかけてみた。当時は地上駅前にあった「翁介」、小さな店だったけれどよく流行っていた。赤い暖簾をくぐるといつも不機嫌そうなおやじが美味いラーメンを作っていた。その「翁介」が今も駅前ビルの地下で営業しているという。訪ねた場所は駅東にあるサンライズビル地下。決して賑やかとはいえない地下街の一角に「翁介」はあった。

店内に入って驚いた。飾ってある絵が当時のままなのだ。なんともレトロな中国の絵。そしてその奥で不機嫌そうにラーメンを作っているのは紛れもない、あのおやじであった。あの頃から好きだったワンタンメンを注文してわくわくしながら待つ。「お待ちどぉさまー」と出てきたラーメン、スープをひとくちすすってみた。おおぉぉ…、懐かしいあの味だ。乗ってる海苔のしょぼさもあのままだ。このラーメンを食べながら、偏差値が50を切ったことも、一桁しか点数のついていない物理テストが返ってきたことも忘れた。クラスでは出せなかった存在感を体育祭の応援合戦で発揮して、打ち上げに皆で食べたのもこのラーメンだった。

愛想ひとつ言わないおやじではあったが、作るラーメンはいつもうまかった。そう、今日のこの味だ。高校生の頃は何も言えなかったが、今なら言えそうだ。歳を重ねて厚かましくもなったけれど、感謝の言葉もはっきり口に出せるのがおばはんの強みだ。食べ終わっておやじの手の空いたころを見計らって話しかけた。

「ごちそうさまでした、美味しかったです。高校生の頃よくこのラーメンを食べましたけど、まだお店があると聞いてやってきました。あの頃の美味しさそのままでした、ありがとうございました

そう言うと不機嫌そうに見えたおやじが、うれしそうににっこりと笑った。そうなのか、おやじはいつも不機嫌なのじゃなく、そういう顔つきなのだ。このうまいラーメンを不機嫌な状態で作れるはずがない。いつも真剣にその味と向き合い、昔ながらの手作りの味を守ってきた笑顔がそこにはあった。にしても高校生の頃にもずいぶん年長に思っていたおやじであるが、今見ても当時とあんまり変わっていないのはなぜだろう。

ところで加古川H高校の先輩に「行列の出来る法律相談所」で活躍中の住田裕子弁護士がいらっしゃる。きっと彼女も学校からの帰り道、賑わう「翁介」の店先で行列をしてこのうまいラーメンを食べたのだろう。そして後輩のレイザーラモンHGもやはりこのラーメンを食べたあとこう言ったに違いない。「翁介、フォォ〜〜〜!」