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「野田版 鼠小僧」映画ポスター
 
開場時には長蛇の列
 
阪神名物いか焼き売り場も長蛇の列
 
これが噂のいか焼き

 

 

 


        
        
          § 野田版 鼠小僧 §


中村勘三郎
の歌舞伎を観た。2004年の夏にニューヨークで観て以来歌舞伎は2度目、といっても今回は舞台ではなく映画である。「歌舞伎座と同じ臨場感と迫力をスクリーンでたっぷりと楽しめる」と謳ったシネマ歌舞伎なるもの、演目は野田秀樹作・演出による「野田版 鼠小僧」である。

野田秀樹といえばかつて東京大学の演劇研究会を母体とする学生劇団として結成された「夢の遊眠社」をひきいた劇作家・演出家・俳優だという。80年代小劇場ブームの火付け役で常に時代の最先端にいた人らしい。が、演劇には疎い私、芸能番組ウォッチャーとしては「大竹しのぶがさんまと別れてから一緒にいた男」ということぐらいでしか知らなかった。

言葉遊びが多用されるという野田演劇、そんな現代作家が古典的な歌舞伎とどう絡み合うのだろう。河竹黙阿弥が歌舞伎化した義賊の「鼠小僧」がどのように描かれるのか、野田さんは知らないけれど勘三郎が古典芸能の歌舞伎に現代演劇の技法をどのように吸収するのか興味津々で出かけた。目指すは大阪阪神百貨店裏、ブログ7という映画館である。

決して方向音痴ではない。地図も読めるしナビなしでも目的地にたどり着く自信はある。しかしどうも大阪という土地、行くたびに迷う。思えば長の神戸暮らし、山側が北で海側が南という慣習が身についていた。好きな京都も碁盤の目、しばらく住んだニューヨークも縦横どの通りにも名前がついているから難儀はしなかった。ところが大阪に出るとそうはいかない。アクティじゃ南という慣習が身についていた。好きな京都も碁盤の目、しばらく住んだニューヨークも縦横どの通りにも名前がついているから難儀はしなかった。ところが大阪に出るとそうはいかない。アクティじゃヘップじゃナビオじゃと言われてもちんぷんかんぷん、インターネットでプリントアウトした地図をひねくり返しながらようやく目的地へたどり着いた。

会場は映画館であるのに雰囲気がちと違う。なんだか8割がたが女性客、しかも年配の方たちが多いのだ。しかも席につけば手持ちの袋からごそごそと持参の食べ物を広げ、なにやら柑橘系の匂いに首を巡らせばしっかりみかんを剥いてほお張っている奥様がいたりする。歌舞伎ファンがそうなのか大阪のおばはんがそうなのかは分からぬが、芝居小屋の桟敷席に陣取ってさあゆっくり見物を…というノリである。

映画の上映方法はよかった。長い予告編や宣伝は一切なし。初っ端から舞台が映し出され音声には実際の観客の反応も入っているから、映画にも関わらずナマの舞台にかぶりつく観客のひとりとなっているような臨場感である。

さてスクリーンの舞台上。これが野田流かと思わせる言葉遊び、つまりオヤジギャグの連発である。例えば「障子に目あり、柱にシロアリ」ってなクサいシャレを二枚目の橋之助がかます。それに続き他の歌舞伎役者たちがこれでもかというスピードで喋りまくる。普段は重厚な女形で見せる中村扇雀オーバーアクションで笑いをとり、しとやか清純な女形が売りの七之助はちゃっかり現代娘を、着物かつらをつけたままにも関わらずアクロバットさながらの身のこなしで表して観客を沸かせる。

ニューヨーク公演(ニューヨーク便り#66平成中村座参照)では古典的な作品を上演しながら最後の場面でニューヨーク警察に捕らえられる場面を演出した勘三郎、この鼠小僧でもラストシーンは「三太がサンタ」という洒落た場面を演じながら、流れる音楽は和楽器による「ホワイトクリスマス」であった。

歌舞伎通の方がたの中には「これは歌舞伎じゃねえ」とおっしゃる方もあるかもしれない。しかし駆け出し鑑賞者には文句なしに面白かった。「基礎がなかったら形無し、基礎がしっかりしているから型破り」という勘三郎の言葉を借りるならば、まさしく「野田版 鼠小僧」は伝統や形式にとらわれない「型破り」である。ことばが時代と共に変化して新しい文化を作り出すように、伝統芸能が現代演劇に結びつく瞬間を見た思いである。

約2時間の上演時間、あくびひとつ出す隙も与えられず笑いころげた映画の帰り、地下道をするすると阪神百貨店へもぐりこんだ。来たときはあんなに迷った道をお目当ての阪神名物「いか焼き」を探しあてたのは「鼠」効果だろうか。いやいや食いしん坊は美味いもんには目がない。目がなくても鼻を利かせばたどり着くのである。



 

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