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ついにローソクが5本…

 

 

 


        
        
          § 誕生日考 §


14年前の誕生日に、私は日本医大のロビーに母の病歴のカルテを抱えて座っていた。ガンという病を得て、地元の大学病院で最新の治療を受ける傍ら、厚生省から認可は下りてはいないものの、効果があるという噂を聞きつけて「丸山ワクチン」を入手するために東京まで出かけていた。「藁をも掴む」思いの人たちが全国から集まった部屋で書類に申込日を記入するときになって、その日が自分の誕生日だということに気付いた。

淀川長治氏だったか永六輔氏だったかが、こんなことをおっしゃっていた。「誕生日は自分自身を祝うのではなく、この世に生を与えてくれた父母を思う日である」と。14年前のその日、ガンという病を得ながら、母はまだその病と果敢に戦おうとしていた。母が病に立ち向かうならばその母を出来うる限り支えようと、自分が生を享けた理由をそこに見出したような思いでその日付を心に焼き付けた憶えがある。

奇しくも父の大腸ガンポリープの検査結果を聞いた日も、私の誕生日であった。日本医大を訪ねてから7年という月日を病と闘って生きた母が逝った時、おそらく自身が死ぬことよりも無惨に父は崩れ落ちたのだと思う。そんな父が、その後母の死を乗り越えて今また生きようとするならば、親から生を享けた子として出来るだけの応援をしようと思う。

生きることの質(Quality Of Life)を考える。毎朝ひとりで目覚め、ひとりで食べて、ひとりで眠る父の毎日を考えるとき、少しでも誰かが傍にいてやりたいと思う。自分自身の老後を慮れば決して子を頼ろうとは思わないけれど、だからといって親に子を頼るなと求めることは出来ない。寂しがっている父が目の前にいるかぎり、その寂しさを紛らわそうと努力するのは子として当然のことのように思う。

親をみる最後の世代で、子に捨てられる最初の世代になってもいいではないか。核家族化が進んで家族のあり方が変貌しつつある流れの中、どこかで線が引かれるのならばその線上に自分がいてもいいと思う。だって、私はいまだかつてひとりぼっちの孤独を感じたことがないもの。小さい頃には温かい家庭があり、「おやすみ」にも「おはよう」にも、笑顔で応える父母がいたもの。結婚してからも子育て家事に忙殺されながら、それでも人を相手にしゃべる毎日があったもの。たまに出来るひとりの時間も、日が暮れると帰って来る人がいるという安心感のうえに味わえた「孤独の愉しみ」であったように思う。

「生きている限り続く孤独」を背負おうとしている父の立場を思い遣る優しさを、いますぐ自分に欲しいと思う。そして「優しくしてあげて…」と言い遺した母sニの愉しみ」であったように思う。

「生きている限り続く孤独」を背負おうとしている父の立場を思い遣る優しさを、いますぐ自分に欲しいと思う。そして「優しくしてあげて…」と言い遺した母の言葉を反芻するとき、今回の父の検査結果が良性であったことも、「まだまだしっかり生きなさい」という母から父へのメッセージなのかもしれないと思ったりもする。

つらつらと思いを馳せたその日の夕方、いつも帰りの遅い娘がいつになく早く帰宅して私を呼ぶ。腰を痛めて自室で横になっていたのだが、腰を擦り擦り階下へ降りてみると、大きめのロウソク5本が灯されたバースデーケーキと子どもたちの笑顔がそこにあった。忘れられない誕生日となった。





 

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