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          § 桜の頃 §


彼の背負ったその病名を知らない。

高校3年の秋、所属していた美術部に彼が顔を出さなくなった。もともと暇つぶしのようなクラブ、それぞれが気の向いたときだけフラっと部室に現れて描きかけの絵にも触れずに帰るというのが日常であったから、彼の不在を最初は誰も気にも留めなかった。

「おい、どうやらKは入院してるらしいぞ。」

「え、どうしたん、盲腸?」

病気とはまったく縁のないような若者の集団である。そんな軽口をたたきながら、それでも顧問の先生をつかまえて尋ねてみた。しかし、先生は何やら口を濁して歯切れが悪い。ただその物言いから、ただならぬ様子だけは察することができた。

気になって見舞いに行った。同学年に3人の女子がいたが他の二人は都合がつかず、ひとりで出かけた。3人の代表だと言って3本のバラを渡した。迎えたKはベッドに寝ているわけでもなくすこぶる元気そうに見えた。なんとなくほっとして
『Kちゃんが絵描いてるとこ見たことないけど顔見いひんかったら寂しいわ。はよ帰っておいでよ。すぐ退院できるんやろ?』
と問いかけた。Kはいつもの飄々とした雰囲気を漂わせて微笑みながら、しかし最後まですぐに帰るからとは言わなかった。

2週間が過ぎても1ヶ月が過ぎてもKが退院したとは聞かなかった。2ヶ月が過ぎる頃また見舞いにでかけた。前よりもずいぶん痩せたように見えるKはそれでも私を見るとベッドに起き上がって微笑んだ。

『あの3本のバラ、Aネエのがいちばん長く咲いてたで』

同学年の3人の女子は皆から「ネエさん」と呼ばれていた。だからそれぞれの名前のあとに「ネエさん」を意味する呼称をつけて私は「Aネエ」と呼ばれていた。Kは3本のバラにそれぞれ「Aネエ」「Iネエ」「Tネエ」と名前をつけて病室で水を替えながら眺めていたというのだ。

当時小学校以来の肥満児体型を引きずっていた私は自他共に認める不細工な女子学生であった。しかし不細工でも年頃の乙女、人並みに恋をしていた。しかも見かけ以上に性格も不細工だったから、彼の身近で描く私の素直でない恋模様を、彼は密かに案じてくれたのかもしれない。

進学校と呼ばれる高校に入ってジリ貧になっていく偏差値を突きつけられた受験生の言動は、その自信喪失と相まって素直でない表現へと加速されていった。私の描く絵は抽象とは名ばかりの荒れ狂う嵐のようであり、見ていて安らぐというものとはほど遠かった。コンクールで賞をいただいても先生はそういう種類の絵を私が描き続けることを危惧した。

『おまえ、ずっと絵を描いていきたいんならもっときれいな絵を描かんと続かんぞ』

女子が自宅を出て下宿生活をしてまで大学へいくことはないという時代であった。だから自宅から遠く離れた北陸の美大を受験したいという私の希望は親子の間で話し合われることもなく潰えた。『もう描きません、ええんです』と拗ねたように言い放つ私を見て先生は苦笑いしながら視線をはずし、そしてKは病室で私に言葉を残した。

『Aネエのバラがいちばん長く咲いてたで…』

私がしたことといえばそんなKに対して、見舞いとは名ばかりのただ進路の定まらぬ鬱憤をぶちまけるだけの身勝手極まりない病室への訪問であった。そしてその日がKの笑顔を見た最後であった。

満開の花が咲き誇る頃、Kの父親から連絡が入った。Kが皆に会いたがっている。Kのクラスメートや美術部仲間、病室に入りきれぬほどの者たちがKを見舞った。Kは別人のようにやせ細り、既に意識も混濁しているようであった。ただ友人たちを認めてその場に起き上がりたかったのか、酸素供給のために繋がれた管を外そうとして力なく顔を左右に振った。入れ替わり立ち代り枕元に立つ友人たちはかける言葉もなく、口を真一文字に結んで涙を呑み込みながらKに別れを告げた。

それからまもなく、Kは逝った。高校を卒業した同級生がそれぞれの進路に向かって歩みだす頃、満開の桜が散り初める中をなぜ彼だけが逝かねばならなかったのか。ほとんどの若者が当たり前のように未来があることを信じ、そして時にはその長く続くであろうこれからの日々を嘆きさえした。健康であることが当たり前で、老いること病むことが別世界のことだと錯覚した。そして私もまたその若さを身勝手に嘆き、贅沢な不平不満を体いっぱいに溢れさせながらKを送った。

『Aネエ、拗ねるな、ボクは描きたくてももう描けないんだ…』

風に舞う桜の花びらがおうおうと泣くKの涙のように思えて、春に背いて逝く理不尽を呪った。

桜の頃になるとKの優しさを思い出す。そして果たして自分はこの一年を優しく過ごせたかを問うてみる。そうするとたいてい相変わらず身勝手なまま、また一年が過ぎている。そうしながら、優しい人になれないまま、あれから三十年が過ぎた。

わずか18歳で逝かねばならなかったKちゃん。君がくれた限りない優しさも今は私の中でただおぼろげな水彩画のようです。18歳の不細工な女学生は不細工なままおばさんになったけれど、気持ちだけはきれいになりたいと思ってきました。今も一年に一度君が逝った桜の頃に自分の優しさを確かめてみるけれど、やっぱり相変わらず優しくなれてはいない自分に気付きます。

君はひとりの病室で過ぎていく日々をどんな思いで過ごしたのだろう。若さに反してやせ細っていくわが身を感じながら、自らの運命を受け入れる準備をどのようにしたのだろう。見舞いに訪れる同級生を前に、その健康を羨むでもなく自身の不運を嘆くでもなく、君は最後まで笑顔で接してそして優しさまで遺していってくれました。いつか桜の咲く頃に君に語りかけられるだろうか。『この一年はけっこういい感じで私、心にバラを咲かせていられたよ』と…。





 

 

 

 

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