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痛みが引いてようやく笑顔に
3日間絶食後のランチ、3分粥です

 

 

 


        
        
         § 急性虫垂炎 §


「おかん、腹が痛くて歩けへんから迎えに来てくれ」

夕方息子から電話があった。あろうことか学校まで迎えに来いというのだ。

芦屋市に仮住まいをしてから4ヶ月、子どもたちの学校に近いという理由でこの地に家を借りたのだが、見落としていたことがひとつあった。最寄りの駅には遠いということである。

確かに直線距離では学校には近いのだが、最寄り駅へはバス10分、それから電車2本を乗り継いで学校までというのは結構時間と費用がかかる。『それならおかんが買い物に出るついでに片道15分の学校まで送っていただけると非常にありがたいし経済的である』とうまく息子に丸め込まれて大学まで送っていくことしばしばである。

帰りは知らぬと宣言してある。勉強しているならいざ知らず、深夜のゼミとか勉学の情報交換と称したコンパの後始末などまっぴらごめんと言いおいてあるので、遅くはなってもいつの間にかどうにかして帰ってきている。

その息子が、まだコンパには早い夕方に電話をしてきたのだ。早く帰る日もたまにはあるが、そういう時は金欠で呑む金もなく仕方なく家で飯を食う時である。先日バイト代も入ったばかりだしやはりこれは異変に違いない。『うん、解った』と電話を切り、一応近所の病院の救急外来を確認して迎えに出かけた。

そういえば、具合が悪いと言って電話をしてきたのは中学生以来である。長い中学受験の末ようやく入学した中学の初日、前夜にはしゃいでガブ飲みしたオレンジジュースが祟ってお腹をこわしたことがあった。途中の乗換駅から『おかあさん、ゲボしちゃった…。苦しくて学校まで行けないよぉ…』と公衆電話から掛けてきた。『じゃあ、帰ってらっしゃい。駅まで迎えに行くから頑張ってね』と、その頃は「おかん」「あいよ」などという掛け合いなどしない、まだまだ「きれいなお母さん」と「素直な息子」であった。あれから10年、もはや髭面の息子の異変に、化粧っ気もなくパジャマの上にコートをひっかけたままの母は保険証をひっつかみ息子の待つ場所へと車を走らせた。果たして息子は凍える街灯の下に痛みのためか身体を二つ折りにして待っていた。

『どこが痛い?何か悪いもんでも食べた?』『吐き気はないし、さっきトイレ行ったけどいつもの健康な一本グソやったしなあ。昼メヲる街灯の下に痛みのためか身体を二つ折りにして待っていた。

『どこが痛い?何か悪いもんでも食べた?』『吐き気はないし、さっきトイレ行ったけどいつもの健康な一本グソやったしなあ。昼メシ喰いすぎたんかもしれへん…』とは言うもののシモネタにもいつものキレがない。これはやはり尋常ではないと思いつつ、病院へは行かず家で様子を見るという息子を「アホか!」と一喝して病院へ連れて行く。暗い車内では気づかなかったが病院の蛍光灯の下で最早息子の顔は青白さを通り越して土色であった。

上腹部の痛みを訴える息子に当直の内科医は丁寧な問診および触診の後、血液検査とX線写真を撮るという。普段は冷静沈着、控えめを自負する母は、持ち前の厚かましさをここで使わねばいつ使うとばかり『先生、普段は我慢強い息子なのでこれほど痛みを訴えているのは尋常ではありません。この際、X線などとまだるっこしい、胃カメラ飲ませて直接診てください』と訴えた。

パジャマにコートをひっかけただけ、髪振り乱したおばはんの仁王立ちの姿に恐れをなしたのか、その若い医者は丁寧に説明を始めた。『おかあさん、落ち着いてください。今は胃が痛いと言っておられますが、嘔吐や下痢がないところをみるとこれは胃腸ではなく虫垂炎かもしれません。血液検査をして白血球の数を見て、それからX線で胃腸を確認しましょう。』とおっしゃる。なるほどと納得して先生にお任せした。

検査の結果、通常は6000以下の白血球数が2万2000までに跳ね上がっている。X線では胃腸に異常はみられないということからほぼ急性虫垂炎だろうという診断。ただ、駆け込んだその病院の救急外来では生憎外科手術に対応できないという。で、他の病院を紹介していただいた。

現在の症状を手早く書きとめた紹介状とX線写真を持って次の病院へ走る。痛み止めの筋肉注射を施してもらったものの、痛みは増しているようだ。『そんなんやったら子は産めんな』とふってみたが『なんでやねん…』と返す言葉にも力がない。相当痛む様子、アクセルを踏み込んだ。

自宅近くの最初の病院から芦屋の町をひたすら南へ、2軒目の病院は新しく開けた芦屋浜を臨むニュータウンにあった。当直医の外科医は待ち構えていてくださったらしくさっそく丁寧に診察いただいた。その頃には痛みは胃部から明らかに右下腹部へと集中してきていたようである。ここではっきりと急性虫垂炎と診断がおりた

ところがここで息子が先生に泣きついた。実は5日後から大学の定期試験が始まるのだ。2年間休学してフロリダの大学へ進んだので皆よりすでに2年遅れ、ひとつも試験を落とせない切羽詰った状況である。しかもすでに就職活動も始まり男子一生の極めて大事な時期、病院で寝ているわけにはいかないと訴えた。

うんうんと頷きながら息子の言葉に耳を傾けてくださった先生、しばらくの黙考のあと、『じゃあ今夜は抗生物質の点滴を続けてみて一晩様子を見ましょう。だけどそれでも白血球数が下がっていなければ試験どころじゃない、手術を受けなければなりませんよ』とおっしゃる。息子はこの点滴にかけるしかないと大きく頷いた。かくて深夜0時前の病室で2本の点滴に繋がれ、まだ痛みは激しいものの適切な処置を施されているという安堵感からか、土気色の息子の顔に少し笑みが戻った。

さて、ここでのことに触れておきたい。息子よりも3歳下のこの妹、小さい頃から兄貴風を吹かされっぱなしだったのでとにかく兄に対抗心が強い。しかも同じ音楽の道を齧ったのでお互いの演奏について批判的、どちらもが自分の方が芸術的であると言い合って譲らない。

兄を迎えに出かけたものの緊急入院となったのでもう少し時間がかかりそうと事情説明の電話を家に入れた。すると娘はいつになく兄を気遣う。『おかあさん、私は大丈夫だから朝までお兄ちゃんと一緒にいてあげて…』と殊勝なことを言う。そうか、普段は喧嘩ばかりしているけれどやはり心のそこでは兄を大事に思っているのね…と美しき兄妹愛に胸打たれる思いであった。

翌日兄を見舞った妹、『お兄ちゃん痛むの? ご飯食べられなくて可哀想…へっへっ』とつぶやいたあと、昨晩から今日にかけて食べたご馳走メニューを事細かに、絶食中の兄に語って聞かせたのでありました。

話戻って息子の病状。昨夜から点滴で入れた抗生剤の効果があったのか白血球数が少し下がる。しかしまだ外科手術をしたほうがよいような数値、もう一晩様子を見ることに。翌日幸いなことにさらに数値が下がり、いちおう緊急手術は免れた。そして点滴に加え、飲み薬でも抗生剤を摂取することとなる。

ところでこれだけ定期試験を受けることに拘った息子、痛みが収まり病室に持ってきてくれと要求したのは勉強のための教科書ではなく携帯電話であった。なにやら友人にメールを送りまくったようで入院3日目にはノートを山のように抱えた友人がふたり見舞ってくれた。

つまり、普段授業に出ていないので試験に臨んでノート集めをしなければならない数日を緊急入院というはめに陥った息子、友人に頼んで代わりに集めてもらったというわけである。

政治学特講、国際法、日本政治思想史、行政法概論などという項目がずらりと並んだ表を前に、これはこのノート…と照らし合わせている。しかもこの友人A君すでに大学は卒業しているにも拘わらずその人脈をたどって息子の為に奔走してくださったばかりか、自身で授業に出向いてノートを取ってきてくれたのである。普段授業にきちんと出ていればこんな迷惑をかけなくて済むはず―とは思うものの、似たような学生生活を送った母としては、彼らの土壇場に際しての講義ノート収集力に驚くばかりであった。

丸3日の絶食の間、『腹減った〜』を幾度となく繰り返した息子、4日目の3分粥を美味しそうに平らげる。日ごとに濃くなる粥に健康であることの有難さを実感しながら入院5日でどうにか退院の運びとなった。そして数日間は抗生剤の点滴を受けに通院しながら定期試験に臨んだ。さて、その結果は如何に? とにかく試験が終わったらお世話になった友人たちにご馳走を振舞わねばなるまいと思いつつ、かつてノートを借りた友に奢らされた遠い日のチョコレートパフェが頭をよぎった。



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