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☆カーソルを近づけると写真が替わります

若いと補正タオルが必要なのです。年とると自前でいけます
☆着付け師さんに仕度をしていただいて…

お世話になったカメラマンの高橋氏。撮るのは慣れているけれど撮られるのは苦手とおっしゃっていました
☆屋外での撮影現場
光調整の大きな円盤、実物を初めて見ました

豪華なアルバムに仕上がりました
豪華なアルバムに仕上がりました
こんな笑顔、家でもしてね!
これが大丸写真室のウリ!
1枚に前後立ち姿を写し込んでいます
兄妹青春のツーショット
☆お世話になった「まるぶん」のご主人

 


        
        
         § 成人式前撮り写真 §


娘が二十歳になった。

サルのような赤黒い顔をして出てきたお産の時の記憶もまだ鮮明に思い出せるのに、あれから20年、月日が経つのはほんとうに速いものである。

現在、小中学校を過ごした土地には住んでいないので友だちもいない、市が主催する成人式の式典には出席しないという。それなら記念に写真だけでも―と晴れ着姿の撮影に臨んだ。

実は着物をどうするかでずいぶん悩んだ。ニューヨークに在住していた今年春頃に、実家に保管してある私の振袖をチェックしてもらった。

『あかんわ、お前といっしょでシミだらけや』
と父が言う。
『何をおっしゃるお父上。着物はそうでもわたくしのこの白い肌、まだまだシワもシミもございませんわ、おほほ…』
と老人性シミだらけの父の顔を思い浮かべてやり返した。

どちらも素直な性格ではないので、こういう天に唾するやりとりを国際電話でしながらお互いの元気度を測るのである。

ところで、女が自分の歳を感じる瞬間というものが確かにある。

以前、二人の子どもを産んだ産院へ婦人科検診に訪れたことがある。出産をしてから随分経ってからである。待合室の幸せそうな妊婦を眺めながら、かつての自身の姿を思い浮かべて懐かしんだ。我が身の体型がどんどん崩れていくことも、歳を重ねていくということも、子どもの成長に移し変えて喜びとなったまぶしい日々であった。

そんな感慨にふけっていると自分の名前が呼ばれた。診察室に入ると医者の目の前に我がカルテが置かれてあった。なんとそのカルテ、他の患者のものの中で私のだけが黄色いのだ。それを目にした瞬間、子の成長に重ねた日々が自身の老いの日々となってずっしりとのしかかってきたのである。

中年の黄色いカルテがこうであるから、もっと歳を喰うとどうなるのであろう。茶色に変色した我がカルテを見るのも嫌なので、以降、婦人科検診は新しい医療機関へ行くことにしている。

話を戻そう。振袖である。

黄色くシミの出てしまった振袖、なんとかならないものかと呉服屋さんに相談した。かつて母と着物選びに訪れた「加古川まるぶん」、加古川寺家町商店街にあったこの呉服屋さんは、母の母、つまり私の祖母からお付き合いのある呉服屋さんである。祖母の着物、母の嫁入り仕度、私の本身初め、そして私の嫁入りの仕度もずっとここでお世話になった。そして祖母から数えて4代目の私の娘の着物の相談をお願いするためにニューヨークから電話をかけてみた。

『あのぉ、昔そちらで振袖をいただいた者ですが…』と恐る恐る話だすと『どちら様でしょう』と丁寧な声。
『はい、○○と申します。』と答えるやいなや、『ああ、○○様、お久しぶりでございます。お嬢さんでいらっしゃいますか、確かお嬢さんにお買い上げいただいたのは赤字に白の梅柄のものでございましたね。お母様にもとてもよろこんでいただいて…。お母様もお元気でいらっしゃいますか?』と記憶を一気に手繰り寄せての応対をいただいた。

それにしても嫁してから四半世紀も経つというのに昔の客をよく覚えていてくださったものだと感心しながら、母がすでに亡くなったこと、自分の振袖をまた娘に着せたいがシミがでてしまっていることなどを説明した。

ところで久しぶりに「お嬢さん」と呼ばれてなんと気持ちのよかったことか。24歳で結婚してすぐに近所のクソガキに「おばちゃん」と呼ばれて以来、若い呼称で呼ばれたことがない。長年怒号を発しての子育てで鍛えたこの野太い声が「お嬢さん」と呼ばれて「よそゆき」に裏返る。
『そうなのだよ、私にだって若い日はあったのだよ。いきなりこうはならないんだよ。』と、普段は『おかん!』『なんやねん!』と遣り取りする我がクソガキたちを思い浮かべたのであった。

伺ったところによるとこの「加古川まるぶん」、寺家町商店街の衰退や着物人口の減退と共に店は閉められたそうである。しかし、昔からの客のために呉服のメンテナンスや相談は今も続けておられ、そしてそういう客の需要は今も絶えることがないという。『何代にも亘って着てもらえる着物をお世話させていただきました』と誇りを持ってご主人がおっしゃるとおり、その後細やかなお世話をいただいた。

京都の染物職人さんのところへ足を運び、私の振袖のシミ抜きが可能かどうか調べてくださった。なんでも白い梅柄の染にコフンという牡蠣の殻を挽いた粉を使っているのだそうで、その染め直しが難しいのだという。しかしありがたいことに、京都の職人さんも今では珍しい技術なので是非再現に挑戦してみたいと言ってくださったというのだ。かくて、まるぶんご主人と京都の職人さんの努力によって、四半世紀前の振袖はほぼその美しさを取り戻すことと相成った。

『お嬢さん、喜んでください。ほんまにきれいになりましたでぇ』という報告を国際電話で受けながら、早くその振袖を目にしたいと楽しみにしていた。帰国早々、まるぶんのご主人のご自宅に伺い、広大な和風庭園を望む和室で久しぶりに我が振袖と対面した。

開かれた雪見障子からは庭の竹の群生を透して秋の木漏れ日が届き、美しく甦った振袖を囲んで笑顔が集う。かつて娘だった私は歳相応のシワを刻み、当時若旦那だったまるぶんのご主人は貫禄と恰幅を身につけられ、そしてその振袖の支払いの為にその後奔走しbヘりからからと、娘に似た笑い声をたてているだろうなと思った。

さて、その晴れ着を着て撮影当日である。

場所は大丸神戸店の写真室。友人と買い物に出かけた大丸で室内だけではなく居留地や屋上庭園で撮影をしてくれるという写真室を見つけていたのだ。午後1時に着付けとメイク開始。撮影は2時過ぎからである。まずスタジオでいろいろポーズを変えて撮影。その後緑豊かな屋上のイングリッシュガーデンへと移った。

スタジオの撮影と違って、日の光を浴びて緑を取り込んでの写真もなかなかの趣である。カメラマンさんがファインダーを覗かせてくださったが、我が娘ながら結構美しい。さすが、子を産んでなお『モデルになりませんか?』と渋谷で声をかけられた「母」の子だけのことはある。ただしこの話をすると、きっとやせ薬の使用前写真のモデルであろうというのが大方の意見ではある。

後日出来上がった孫の写真を見て祖父母たちも大層よろこんでくれた。息子も二十歳の時に写真を撮っていなかったので、数カットのうちに何枚かはいっしょに収まった。まだ学生の息子、これから学生の娘、身に付かぬスーツと初めての振袖に包まれて、いかようにも夢や希望を膨らませることの出来る笑顔がアルバムに残った。


 


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