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精進料理「慶月」
 
飛騨のお菓子「かたりべ」とお薄
御吸物
前菜
 
小附
御凌ぎ
八寸
八寸
 
替鉢
焼物
小鍋
 
替皿
揚物
御飯物・香の物
水の物
 
古泉閣
 
金泉
岩風呂
 
八角堂

 


        
        
         § 有馬温泉 §

神戸の奥座敷、有馬温泉へでかけた。

海外に住んでいつも恋しかったのがどっぷり浸かれるお風呂である。沐浴という文化が端から無いアメリカであるからバスタイムはシャワーが中心、バスタブも浅くて長いから、無理矢理肩まで浸かろうとするとバスタブの底に張り付かねばならない。しかもお湯の追い炊き機能なんてまったくないので、ぬる〜い湯では体の芯から温まるということがなかった。

で、温泉温泉…と呪文のように唱えながらそれでも帰国後の雑事に終われ、ゆっくり出かける暇がない。ということで日帰り温泉行と相成った。

実は気になっていた宿がひとつあった。

かつて神戸市地下鉄学園都市駅近くに住んで居たので、息子の学校からの呼び出しを喰らった時には阪神高速7号北神戸線を利用した。西宮にある学校に行くには第二神明から阪神高速3号神戸線を使うというのが一般的なのだが、この3号神戸線、よく渋滞するのである。だから、7号北神戸線の前開から有馬口で降り、有馬温泉街を抜け西宮有料道路盤滝トンネルを利用して六甲山を越え西宮に至る、という奥の手を使うことが多かった。

その有馬温泉街の途中、賑やかな中心街から少しはずれた緑生い茂る木立の中に、精進料理「慶月」という看板がいつも目についた。とにかく学校からの呼び出しを喰らっている途中なので精神状態は最悪である。

大体呼び出しの内容は知れていた。学業が振るわずに先生との三者懇談でお小言をいただくか、集団カンニングをしでかして大勢引きまとめて説教を訓辞されるか、あるいはエロ雑誌を回し読みした張本人として検挙せれたかのいずれかであったかと思う。「呼び出しを喰らうより精進料理を食いたいわい…」と心の中で毒づきながら、いらいらと車を走らせたものである。

この有馬温泉、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代孝徳天皇(596〜654年)の頃に両天皇の行幸がきっかけとなりその存在が知られるようになったものの、天災に遭い壊滅状態の有馬温泉を再興したのは仁西(にんさい)という僧だそうである。

温泉の復活とともに仁西は薬師寺を改修し、12の坊(僧侶の宿泊施設)を営んだという。現在、有馬において「坊」の文字がつく宿が多いのは、このときの流れをくむか、あるいはそれにあやかってつけられたものらしい。その後豊臣秀吉千利休をひきつれてたびたび有馬の地で茶会を開き、繁栄をもたらしたという。今も毎年秋には豊臣秀吉に因んだ茶会が開かれているそうだ。

秋晴れのある日、父を助手席に芦屋市から芦有道路を使って有馬を目指した。途中六甲山の展望台から大阪湾を眺めた。東は大阪空港、生駒の山々を目でたどって関空、西は遥か淡路島まで一望である。美しい風景は食前酒のように心に染み渡り…と洒落たかったが、朝飯を抜いたので気持ちは有馬へと焦るばかりである。

さてお目当ての精進料理「慶月」。古泉閣という料理旅館に付随する料亭である。山ひとつが全部敷地内という広大な緑の中にひっそりと佇む離れで、その日は季節まっさかりの松茸精進<、昔懐かしいはったい粉味のお菓子と共にお薄で一息。

松茸、柚子、順才の「お吸い物」「前菜」はとうふ、岩茸、ウド、生麩の膾(なます)、松茸有馬山椒煮の「小附」へと進む。そして「御凌ぎ」は本手打ち蕎麦である。

「八寸」には木の実寄せ、またたび、棗(なつめ)、ろうじ茸、万願寺ししとう、「替鉢」として蓮根豆腐葛かけ、松茸、紅葉麩、そしていよいよ「焼き物」、焼松茸、「小鍋」の人参、牛蒡、銀杏、三つ葉、舞茸をあしらった松茸芝蒸し鍋へ続く。

使われている素材はあまり馴染みがないけれど、どの料理も見た目も美しい。お運びの女性がひとつひとつ丁寧に説明をくださるので、それを聞きながらどの料理も感心していただいた。「猫にまたたび」とは聞いたけれど「またたび」を食したのは初めてである。なんとも微妙なお味、「まつたけ」は美味いが「またたび」は猫に譲るとしよう。

車で来たことを少し後悔しながら同行した父には酒を勧め、取り留めのない話をしながら箸は進む。

次は「替皿」。栗の渋皮煮、袋茸、枝豆、丹波黒豆、南瓜、胡麻豆腐、串蒟蒻、そしてヒシの実が美しく盛られる。ヒシの実は昔忍者が追っ手を払うために撒いたという代物である。であるから非常に硬い木の実である。どうやって食するかというとその実を割ってことことと茹でるという。殻は硬いが中はほんのり甘味のあるでんぷん質で、これも初めての食感。こちらは猫には譲れぬ旨さであった。

すでに腹具合は八分をとっくに過ぎていたが、続いて「揚げ物」である。松茸、豆腐、青唐を、もち米を乾燥させて潰した新挽き粉という衣をまぶして揚げている。つゆは精進料理らしくりんご酢と大根おろしでいただく。満腹にもかかわらずあっさりと平らげ、続く松茸炊き込み「ご飯物」、「香の物」、「水の物」のフルーツまできれいさっぱり完食

ところでこの慶月の精進料理、正餐「宗和流本膳」を厳選した「本膳くずし」というらしい。平安時代以来の公家の宴の伝統を、禅宗の影響を受けた武家文化が継承、発展させたものが日本料理の正饗である本膳料理なんだそうだが、それに京で茶道宗和流を創始した金森宗和がアレンジを加えて飛騨国の茶席用の懐石料理となったらしい。

一の膳から七の膳まで10時間かけて供された本膳料理は実に三汁二十菜にも及んだというが、十数品に縮小されたこの「本膳くずし」も、たっぷり2時間かけていただいた。

さて、満腹満足の次は腹ごなしに温泉である。

古泉閣には庭園を眺めながら湯船に浸かれる「八角堂」と、野趣あふれる「岩風呂」があるのだが、太古の湯治場を忍ばせるような岩風呂に入った。

30分をめどに先に出たほうが風呂場の前のソファで待つことを約束して、暖簾の前で父と別れる。女風呂は誰もいず、これ幸いとデジカメ片手に裸で風呂場を撮りまくる。

有馬の湯は鉄分が多く含まれ、空気に触れると褐色に変化する「金泉」が有名である。

子どもの頃から、近いこともあって何度か家族で有馬を訪れた。「湯船にタオルを漬けてはいけません」というのが公衆浴場でのマナーと教えられたが、この有馬の湯だけは違った。母がタオルを漬けてみろという。そのとおりにすると真っ白なタオルが赤く染まり、そしてそれが鉄分によるものだと教えられた。鉄分に染められた白いタオルはその後何度洗ってもその赤味は取れなかった。一度だけ公衆マナーを破って、一度染まった錆は取れないと学んだ。

何かにつけてそういう母であった。やってはいけませんとは言わない。『ストーブは熱いから触っちゃ駄目よ』とは言わずに、『触ってごらん、熱いから』というタイプである。してはいけないことは身をもって学ばされた

おしゃれに目覚めた高校時代にこんなことがあった。

当時身体にぴったりと沿ったブラウスが流行った。いわゆるボディコンシャスである。頭からすっぽりかぶり背中はファスナーで絞り上げるデザイン。少々着難いけれど身につけてしまえばウェストに絞り込まれたラインが美しい。あの頃はデブの極みであったので衣服全般母の手作り。しかし、デブでもボディコンは着てみたいという希望は膨らむばかりであった。

『ブラウスにはゆとりがないと着難いよ』という母のアドバイスも聞き入れずに身にぴったりと張り付いたようなブラウスを要求すると、母はそのとおりに作ってくれた。身につけるとなかなか、太めではあるけどしっかりとボディコンシャスである。実際わが身には現れぬウェストラインもアンアンやノンノのモデルが頭の中に渦巻いているから、結構その気になって出かけた。が、悲劇は昼食後に起こった。

朝ごはんを食べずに出かけたとき、それは確かにボディコンシャスであった。しかし、昼食後の胃部膨張による体型変化を頭に入れていなかった。かくて、ボディコンシャスを通り越し、今にもはちきれそうなブラウスを着たまま帰宅し、樽のような身体を折り曲げて自分では脱げぬブラウスを母に脱がせてもらうこととなった。爾来ゆとりのある服を選ぶように努めてきてはいるが、ここ数年、ゆとりのあったはずのブラウスがまたボディコンシャスになっているように思うのは気のせいだろうか?

そんな母もまだ丸々と太っていて、白い背中を流しあった幸せな日々を湯気の向こうに思い出しながら、ふと我に戻った。しまった、約束の30分は過ぎてしまったかもしれない。

慌てて金泉から上がり身支度をして外に出た。

待ち合わせのソファには父はまだ居ない。しばらくするとほっこりと温まって血色のよくなった父が暖簾の向こうに姿を現した。疲労、肩こり、腰痛に効くという有馬の湯にほんのりと上気した父の頬と少し赤味を帯びたような目を眺めながら、父もまた湯に浸かりながら、幸せだった頃の元気な母に思いを馳せていたのかもしれないと思った。


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六甲山からの眺望